皇室会議の混乱と5月改元の年号制維持への悪影響

八幡 和郎

宮内庁サイトより:編集部

12月1日に皇室会議が安倍総理大臣ら三権の長や皇族の代表らが出席して、宮内庁で開かれた。天皇陛下が2019年4月30日に退位され、皇太子さまが翌5月1日に即位されることが固まり、政府は8日の閣議で正式に決定した。

同時に5月1日に改元ということも決められた。しかし、改元の日については、一人の委員から伝えられるところによれば赤松広隆衆議院副議長から元日の改元が主張され少し混乱したらしい。

もともと、政府も元日改元を考えていたのだが、宮内庁から正月には宮中祭祀が立て込んでおり、忙しいので避けて欲しいと要望があり、それなら、12月23日の天皇誕生日のあとに退位されるが、改元は正月でどうだという意見もあったとされる。

しかし、昭和天皇の崩御から30年祭が1月7日なので、それは今上陛下がしたほうがよいということで宮内庁から難色を示し、4月1日という案も出たが、統一地方選挙もあり、5月1日に落ち着いたようだ。

皇室会議で、赤松氏は、元日を主張するにあたって、「皇室の神事は国民生活に何の関係もない」といったという噂があり、保守派から非難されているが、どのような文脈で正確にはどのように発言したかがはっきりしないと安直に批判するのは間違いだと思う。

もちろん、神事への配慮をことさらに排除するのは賛成できかねるが、国民生活への影響より神事優先という印象を与えるのはまずいとか、神事を真っ正面から理由にするのもいかがなものかとかという程度ならそんなにおかしい意見ではない。

実際に、政府は12月下旬の御譲位と正月改元をひとつの案としたと伝えられるから、赤松氏の意見もそれと軌を一にしたものである。

また、昭和天皇の30年祭を今上陛下の手でしなくてはならないというのも必然といえないし、また、5月改元としたことで、陛下の即位30周年の式典をやる必要が出るし、4月にはご成婚60周年ということになりさまざまな行事が行われることになる。

宮内庁の関係者のなかには、そうした行事を華やかに行いたいという人もいるだろうが、そうでなくとも忙しい譲位、即位改元を前にして、そういう行事を目白押しにするのは、粗相がないようにするという観点からも、関係者の体力などを考慮しても、さらには諸行事の簡素化を図って国民生活への影響を避けたいとと仰ってきた陛下のこれまでのご発言との一貫性からしても、適切とは思えない。

また、一部に、退位にあたってはパレードなどして華やかに締めくくりたいというのが陛下のご希望であるという報道が流れて、宮内庁が陛下はかねてより簡素にしたいというご希望であって根も葉もないはなしだと否定したが、昨年のお言葉の趣旨に沿って考えても、当然のことだろうと思う。

もう決まったことであるから、いまさら覆せと言うことではないが、私はもっとも望ましくは、御譲位は来年の新嘗祭の終わったあと年末までのあいだ、改元は2020年、即位儀礼は2021年秋ということがもっとも好ましいという意見だった。

昭和天皇の30年祭、即位30年、ご成婚60年をひとまとめとして行い、東京五輪の年をもって新年号の元年とし、世界中からVIPが訪れる五輪は新旧陛下と秋篠宮殿下で手分けして対応し、五輪が終わったあとの落ち着いた時期に(出来れば京都で)華やかに即位儀礼を行うのが理想だと思った。そのほうが、五輪後の景気減速を避けるためにも賢い(そもそも即位儀礼を京都でやるという明治天皇の御叡慮をなんの理由もなく廃棄することは暴挙である)。

そうでなければ、政府が一時期、検討したように、来年末の御譲位と再来年正月の改元が次善の策としては正しかった。退位の直前に今上陛下による昭和天皇30年祭、即位30年式典、ご成婚60周年のお祝いと連続してしまうと新しい陛下の影が薄くなし、それ以上に、年の途中で元号が変わることの混乱が避けられるからだ。

元号を廃止して西暦に変えたらという意見もある。元号のデメリットはいろいろあるが、その最大のものは、年の途中での改元である。

私は年号を維持しつつ、使用範囲を実用上不便がある場合には(とくにコンピューター上の処理が伴うようなケースなど)、少し減らしても良いというあたりが正解かという意見だが、年の途中の改元と言うことが、改めて、年号制度のデメリットをめだたせることになり、結果、年号廃止に一歩近づく、つまり、次の改元の時にはどうするかという議論が出てくる契機になりかねないという意味で、年号制度を守りたければ、あまり賢い選択ではないと思う。

男系・女系からみた皇位継承秘史 (歴史新書)
八幡 和郎
洋泉社
2017-07-04