小池都政が誕生し、もうすぐ1年半だ。各種報道は、昨秋の衆院選を境に急に批判的になった。しかし都政の現場に足を運ばず書かれた印象論がほとんどだ。知事の仕事ぶりは、人と組織と予算を使っての業績を評価すべきだ。筆者は、経営学者だが都庁顧問、そして都政改革本部の特別顧問として一連の改革にかかわってきた。実体験と現場での見聞をもとにこれまでを総括し、今後について考えたい。
豊洲移転と五輪予算の見直しから出発
2016年夏の知事選。小池氏は3人の有力候補の中で唯一、当時の都庁が既定路線としていた巨額の五輪予算と築地市場の豊洲移転の2つを見直す必要性を明言していた。市場については、なぜ卸売市場に土壌汚染の疑いがある場所が選ばれたのか、なぜ5800億円もの費用が掛かったのか。利権が絡んでいるとの疑惑があった。五輪予算については舛添前知事が最終的に3兆円を超える可能性に言及していた。一方で会場選定の過程や工事計画などの情報公開が足りず、国民の多くが釈然としていなかった。
就任後、小池知事は早速見直し作業に入る。だがいずれも予算化され、ほぼ着工済み(豊洲市場等は完成済み)の公共事業だった。だから当初はこの挑戦を無謀とみる向きが多かった。わが国行政では着工済みの公共事業の見直しは極めて難しい。八ッ場ダムをはじめ、死屍(しし)累々である。しかもこの2つの問題は深く、複雑に絡み合っているうえに知事の前には3つの大きな壁が立ちはだかっていた。
第1の壁は「期限」である。豊洲移転後の築地市場の跡地は五輪の車両基地に使われる予定だった。だからどちらも2020年の五輪開催までに工事を終えなければならない。どちらも見直しに割ける時間が限られていた。
第2に「権限」の壁があった。目の前の行政執行なら知事は絶大な権限を持つ。しかし知事は検事ではないし、職員や外部委員も調査権を持たない。過去に遡って疑惑を解明する手法は限られていた。疑惑解明への都民の期待の大きさと実際に知事ができることの間にはギャップがあった。
第3には議会の「反発」があった。特に都議会自民党は知事選に由来する反感に加え、今まで当局と決めてきたことを次々と知事に否定されることへの懸念が強かった。
それでも小池知事は公約に沿って敢然と見直し作業を始めた。作業には専門家と第三者の視点を入れるべく、私をはじめ数名が民間から加わった(都政改革本部の特別顧問、特別参与として)。
1年半で3つの負の遺産を処理
その後の経過は各種報道の通りだ。まず、豊洲については知事は早々に移転延期を決めた。その直後に汚染地下水の存在などが発覚し、移転延期の決断は大正解と判明した。さらに過去の知事や職員が立地選定や建設過程で様々な不手際を重ねてきた可能性が明らかになった。また議会によるチェックも不十分だったことがわかってきた。一方で豊洲への移転については、いったん白紙に戻して築地を再整備する計画などが出てきた。そのためすったもんだが続いた。また豊洲の環境対策工事の入札も遅れた。だがそれも目途がつき、ついに昨年末に2018年10月の移転予定が決まった。こうして豊洲移転問題はようやく一段落がついた。
五輪予算の見直しについては、国際オリンピック委員会(IOC)および大会組織委員会との調整が難渋を極めた。特にすでに決めた会場の移転や設計の変更については内外の競技団体等の反発が極めて強かった。しかし都政改革本部の調査チームは、最悪の場合、開催費用の総額が3兆円超となるリスクを試算、公表した。またわが国の組織委員会に対し、開催の準備状況を広く情報公開することを迫った。さらに都庁は率先して自ら建設する施設の建設費を約400億円削減すると決めた。やがてIOCと組織委員会も開催予算の軽減や調達プロセスの見直しを打ち出し始めた。対立と混乱を経て、ようやくとめどなく予算が膨張し続ける構造にくさびが打ち込まれた。
以上をまとめると小池知事は、就任4カ月後(16年末)には、公約の一つだった五輪予算問題に決着をつけ、さらにその1年後(17年12月)に2つ目の公約の豊洲移転問題にも決着をつけたことになる。
都議会改革
都民が小池知事に期待したのは上記2つの問題の見直しにとどまらない。この2つの問題の裏にはこれまでの都議会のチェック能力に対する疑問があった。この問題に対しては、小池知事は新規人材を入れた新会派「都民ファースト」を立ち上げ、2017年7月の都議選に打って出た。圧勝を経て、議会改革の礎ができた。一方で知事は公明党との連携関係も構築していた。この2つをもって都議会も知事の改革に協力する体制ができた(但し昨秋の衆院選後の状況の流動化は各種報道のとおり)。
あえて本質課題を掘り下げた
以上、述べてきたように小池知事は就任2年を待たずに過去の知事たちが放置してきた都庁の3つの負の遺産(豊洲移転、五輪予算、議会改革)を処理しつつある。しかも当初からこの3つは公約に課題と掲げ、抵抗の渦巻く中、正面突破を試みてきた。あえて火中の栗を拾い、案の定、随所に混乱が起きた。しかし、事態はようやく収拾しつつあり、この解決の経験が都庁と都議会を前向きに変えていく礎となりつつある。東京都は不幸にして過去2名の知事がいずれも政治とカネの問題で任期途中で辞任に追い込まれた。だがようやく東京都は仕事師、実力派の知事を得たといえよう。
一部には豊洲への移転や五輪の準備が遅れたと批判する向きがある。しかし、見直しは知事選の公約であり、民意に基づく作業である。また見直しには当然、一定の時間が必要であろう。むしろ五輪準備のギリギリの状況下でも妥協を許さず過去の失政とその原因の解明に挑んだ小池知事の胆力とリーダーシップを賞賛すべきだろう。
しかも知事は、将来、都庁と都議会が二度と同じような問題を起こさないよう議会改革と都庁の入札制度の刷新や内部統制の仕組み改革にも着手している。また都政改革本部を設置し、いわゆる行政改革や業務の見直しにも取り組みつつある(都政改革本部ページ)。
特に知事が重視したのは情報公開である。例えば秘密とされていた都庁、IOC、組織委員会の開催都市協定や各種審議会の議事録がオープンにされるなど遅ればせながら随所で変化が起きている。また不備だった公益通報制度も拡充された。こうした空気の変化を感じ、今では巨大な都庁が各局単位で政策を見直し、また職場の随所で職員が自ら取り組む改革が始まりつつある(『各局の自律改革について』)。
都庁は巨大である。それを動かし、組織を律するだけでもたいへんである。小池知事は日常業務の傍らで3つの公約に沿った過去からの3つの負の遺産の処理に挑んできた。当選直後、単身、都庁に乗り込んできた小池知事を支持する議員はわずか数名だった。そこから出発して官僚組織と議会の両方を動かし、ようやく過去からの負債処理にめどをつけた。
重くて大きな組織の改革は難しい。日産自動車の場合はカルロス・ゴーン氏が、日立製作所では川村隆氏がやっと成し遂げた。東京都庁の場合には小池知事がそれを成し遂げつつある。ちなみに私は大阪府と大阪市でも特別顧問として橋下改革にかかわった。大阪の場合にも過去からの負の遺産として3つの不良債権問題があった(関西新空港、WTC、関空ゲートタワー)。橋下改革でも当初からの正面突破を試みた。その過程で伊丹空港の廃止を唱えるなど様々な戦術を駆使し、はた目には混乱が続いた。だが混乱を経て大阪は見違えるように再生しつつある。真の改革には、混乱はつきものである。また抵抗勢力の存在を明らかにする意味もある。大阪に続き、東京でもホンモノの改革が始まりつつあるといえよう。
都庁の改革は単なる自治体改革にとどまらない。激変する国際情勢から遅れがちな日本、停滞する国政、そして厳しい財政状況に目を向ければ、東京や大阪のような都市が主体的に挑む社会構造の改革が唯一の望みである。失敗を恐れず、果敢に物事に挑戦する小池知事にますます期待をしたい。
(注)本稿はあくまでも個人としての見解であり、公職に基づくものではない
編集部より:このブログは都政改革本部顧問、上山信一氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)のブログ、2018年1月14日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた上山氏に感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、上山氏のブログ「見えないものを見よう」をご覧ください。