「プログラミングで写経って・・・?」
「写経を始めます」と言われ「えっ」と誰もが思うはずです。ITとお経では随分と隔たりがあるし、何より筆と墨を持って来てないです。何をするかと思えば、サンプルのプログラムをそのままPCのキーボードで打ち込むということです。正に「写経」。確かに打ち込めば覚える、わからない事は調べるという意味においてはお経を写して覚えるという根源的なことは同じなのです。
ただ、僕も53歳の年齢なので、紙に書いて覚えるという教育を受けていて、キーボードを打っても後で読み返すというメモにはなるけれど、覚えるという事になかなか繋がらないのです。衆議院議員になって、人生で一番ノートに書きつづった経験があります。あまりにノートの量が増えるのでPCに切り替え、キーボードでノートしてみましたが、覚えられずに、結局、PCにペンで手書きすることにしたのです。プログラミングスクールに連れてきた「Surface Pro」は、サーフェスペンを使い、ノートして使い、PCとして資料整理、分析などをしていたのです。
予習に追いつき、Progateの「HTML&CSS初級・中級・上級」が終了しているとはいえ、「写経」をやってみるとわからないプログラミング言語がたくさん出てきます。この世界において、調べるとは「ググる」ことなのです。「ググる」とはコンピュータを使いインターネットで調べるという意味です。「google検索」からきた言葉です。Yahooを使って検索しても「ググる」というのですから、正に動詞となっています。わからなければ「ググる」、そして検索のやり方が大切で、スクールの参考資料にもありました。資料を見ると言っても全てネットで見る資料です。その中に書かれていたことは、今までググってきたけれど、知らない検索機能がたくさんあったといことです。
プログラムを正しく写すと、サンプルとなっているホームページが作成されます。プログラムの良いところは、書いたとおりに出来上がるということなのです。逆に言えば、正しく書けなければ、意味をなさないという事です。何度、見直してもサンプルホームページにたどり着けないのです。プログラムは基本的にアルファベットの羅列です。その一字ごとを見直しているけれども、たどり着けない。夜中になってしまうけれどたどり着けない。悔しさで一杯です。今やっているのは、パソコン版ですが、まだスマホ版も「写経」しなくてはいけないのです。
昔の僧侶が「写経」していた時は、写した結果が見えず、単に写したという事実、そして頭に入ってきたという事実が残ったのだと思うのです。でも、プログラムは、更に出来たものが形を変えて見えてくるという現実もあるのです。目が疲れる、肩甲骨の間が痛くなる。スタカフェにサンドバックがある意味がようやくわかってきました。肩を動かすための道具なのです。
次回は「初めての週末。過ごし方は・・・」
編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2018年1月27日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。