元IT副大臣53歳のセカンドスクール(10)終わってしまったCSS&HTML

福田 峰之

「あー終わってしまったCSS&HTML」

ホームページを作る時に使うプログラミング言語「CSS」と「HTML」の授業が本日、最終日を迎えた。一番簡単だから最初に学んだのか、手に職をつけるには手っ取り早いからなのか、プログラミング言語の原点だからなのか、僕にはわかりません。ただ言われたことを覚えて、実践するのみの8日間でした。講師の先生は授業の最後に「この2つを理解すれば、ホームページはつくれるようになるよ」とさらりと言っていた。

今では当たり前となっているインターネットを使った選挙運動(俗に「ネット選挙」と呼んでいる)を5年前に解禁した時の自民党の実務責任者だった。公職選挙法を改正して、選挙期間中でもにインターネットを使えるようにしたのです。それまでは、選挙期間になるとブログも書けない、ホームページも更新できない、SNSもだめ、@メールも使えない、通常の政治活動(選挙期間以外の活動)には使えるのに、何かおかしい。有権者が、政治に一番関心を持っ時期に最新の情報を伝えられないのは議会制民主主義に反することだ、と特にネット世代の若者から指摘を受けていました。

僕は自民党のネット選挙運動のエバンジェリストとして、日本中をかけ回り、自民党の国会議員、都道府県議会議員、市町村議員、秘書、議員支援者に法改正で何が出来るかを伝えていたのです。あまりに数が多く、何回講演したか覚えていません。その時に「ホームページはインターネットの中の住民票です。住民登録がなければ存在がないことになる」と必ず作るように伝えていたのです。

ホームページは政治家にとっても、企業にとっても、団体にとっても、NPOにとっても、個人事業主にとっても、何かやっている組織・人にとっては、インターネット内の住民票です。どれだけ、見てくれる人がいるのか、ということが商売に直結するので、大切なものなのです。そこに、デザインが優れているとか、わかりやすいとか、便利だとか、様々な工夫が生じてきます。

しかし、ホームページは商売とは関係ない個人や組織が、自分たちの活動記録としてつくるというという用途もあるはずです。今までは、活動記録だったり、周年行事の図録だったり、高い金額をかけて印刷していた記念品もホームページが変わりとなるのです。多くの人に見てもらうことが目的でなく、関係者が思い出を振り返るために見るという使い道もあるのです。人が亡くなった時の忘れさられる権利という概念も大切ですが、人が亡くなっても、人間の記憶と共にネットに生き続けるという概念もあります。亡くなった曾祖父が、生前どんな考え方を持って、どんな生き方をしてきたのか、知ることも出来るのです。それも、語り伝えではなくて、本人の文章で、言葉で。僕の思いや、このブログをひ孫に簡単に伝えることが出来るのです。素敵な時代ではないですか・・・。

「CSS」、「HTML」を8日間学んだけれど、flexboxだとかmarginだとか、見たこともない言語が出てくるし、機能も何となくわかってきたけれど、プログラムをゼロから作れと言われると歯が立たない。でも「写経」したプログラムを完成させて、パソコンのブラウザー(インターネット・エクスプローラーやグーグル・クロームのようなもの)に読み込ませ、ホームページが出てきた時は、嬉しかった。写経に本当に苦労したので・・・。授業の最後は、サンプルに出来たホームページの見え方を変更する4つの課題が出されたのです。見え方を修正する方法は自分で考えてプログラムを修正するというののです。今まで習ってきた事を思い出して、いろいろな技を試しては失敗し、ようやく3つまで解決できましたが、1つだけ時間内で解決で来ませんでした。あー悔しい・・・。でも、それが今の僕の実力です。

明日からは「javascript」という言語になります。progateの予習では中級まで終わっていますが、習得できているいうレベルではもちろんありません。CSS、HTML、javascript、全てがごちゃごちゃになってきていて、頭の中が蜘蛛の巣状態です。いつ解消されるものなのか、予測もつきません。

次回は「BusとBath。ヒアリングが苦手なもので・・・


編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2018年1月30日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。