堀江貴文さんが衆院選出馬当時は弱冠32歳?!

音喜多 駿

こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

本日は昨年に引き続き堀江貴文さんにお声がけいただき、「ホリエモン万博」トークショーに出演してきました。

グループトークだった去年から、今年はサシ対談に昇格。そして私の直前はさだまさしさんという超豪華ゲストでした…!

堀江さんとの対談内容は多岐に渡りましたが、

「おときたさん、いま何歳になったの?」
「34歳です」
「ええ、俺なんか衆院選出たとき32歳だよ!もっと全然イケるよ!」

と言われて、改めてびっくりしました。

参考:ホリエモン出馬(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election2005/news2/el_ne_050820_02.htm

残念ながら亀井静香さんに次点で敗れた2005年当時、すでに大物の風格満載でしたけど、今の自分より年下だったんですね…。

東京や大阪の都心部で出たら、そりゃあ楽勝だっただろうという堀江さん。でも。大物と闘って選挙で勝つことが重要だったとのこと。

というのも堀江さん、当選したら1年くらいで本気で自民党総裁=総理大臣になる計画だったそうです。

そのプランとしては、まず大物の亀井静香を小選挙区で倒して「政治力・権威」を得て国会へ。

このときは「小泉チルドレン」が大量に当選した年だったので、看板(知名度)・カバン(資金力)がないチルドレン議員たちを取り込んで最大派閥を形成(「金ならあった!」と断言)。

そして総裁選出馬→総理大臣を1年で成し遂げるつもりだった…と。

もちろん「机上の空論だ」と斬って捨てるのは簡単ですが、当時の堀江さんの知名度・資金力、そして改革への期待度を考えると、あながち不可能ではなかったのかもしれません。

残念ながらそのプランはスタートで叶わず、政界進出どころかまさかの逮捕劇が起こり、日本のIT・起業ブームも急速に萎んでいきます。

色々と考えると、やはりあの小泉構造改革あたりが日本のターニングポイントだった気がするなあと、改めて痛感した次第です。

ここまでの現実的なビジョンを持って政界に挑戦していた堀江さんの姿に、改めて舌を巻き刺激を受けたイベントになりました。

ちなみに、「いま政界に行っても、10年とか時間がかかりそうだからヤダ!」そうです。

私も「総理を目指す」と公言している人間ですが、もっとビジョナリーに、現実的な見通しを持たなければ…(お金はないけど!)。

そしてなぜか対談では、総理を目指すために「新党ではなくて、新しい球団をつくる」という結論になりまして(?!)、が、頑張りたいと思います^^;

お招きいただいた堀江貴文さん、スタッフの方々、そして来場者の皆さま、ありがとうございました!

それでは、また明日。


編集部より:この記事は東京都議会議員、おときた駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年2月4日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。