「支那(シナ)が差別語ならば、「中華」はどうなる?」という投稿を宇山卓栄さんがされて話題になっていた。このなかで宇山さんも引用されているが、ウィキペディアに『評論家の八幡和郎は、著書の中で「支那といっても抗議される由縁はないはずだが、あえて相手の嫌がる呼称を使うこともない。それが大人の対応だ」と述べている』という記述があり、最大公約数的な見解として光栄にもしばしば引用されている。
しかし、中国については、宇山さんの小論でよく紹介されているので、ここでは、『韓国と日本がわかる 最強の韓国史』(扶桑社新書)でも述べた、韓国・朝鮮について紹介したい。
大韓民国は、朝鮮語ではテハンミングクといい、韓国はハングクだ。一方、朝鮮民主主義人民共和国はチョソン・ミンジュジュイ・インミン・コンファグッで、朝鮮はチョソンだ。このふたつは、もともと、まったく別の地域のことであって、別名ではない。
歴史的に見れば、朝鮮は中国東北部の遼東地方から北朝鮮北西部あたりのことだ。中国の史書にはじめて登場するのは、殷が滅びたときにその残党が独立して建てたという箕子朝鮮があり、その後、前漢の時代に北京地方の藩王が取り潰しにあったときに、やはり残党が衛氏朝鮮というのを建てた。いずれも漢民族の国だ。
しかし、漢の武帝に滅ぼされて、直轄領となり、楽浪郡などが設けられた。
このこと、半島南部は文明化されておらず、日本列島よりも発展度合いは遅れていたので、漢の支配は及ばず、ときどき、楽浪郡などに挨拶に来るだけだった。この地域が、馬韓、弁韓、辰韓の三韓に大別され、それぞれに二桁の小国家があった。
4世紀になると、北から満州の扶余族の高句麗、南からは統一国家になった大和朝廷が進出し、また、小国家群から百済や新羅が勢力を広げた。そして、高句麗、倭(任那)、百済、新羅が争い、まず、日本領の任那が新羅に侵略滅亡し、ついで、百済と高句麗が唐に併合され、のちに、その多くの部分が新羅に侵略されて、大同江以南が新羅領となった。これが、国際的には現代の韓国や朝鮮のルーツと考えられている。
朝鮮の名は、14世紀に李成桂が高麗を滅ぼして新しい王朝を建てたときに、明から認められた国号である。どうしてまた、古代に満州を中心に栄えた漢民族の国の名前を使ったのか分からないが、古朝鮮の故地である遼東地方(遼寧省)への領土的野心の表れかもしれない。
この朝鮮王国は明・清の従属国だったが、日清戦争の結果、下関条約で日本の要求により独立国となり、やがて、1897年にかつての三韓の名にちなみ大韓帝国が成立した。
ちなみに、民国と共和国は、いずれも英語のリパブリックの訳だが、民国が中国語由来で、共和国が日本語由来だ。英語やフランス語では、いずれも高麗に由来したコリア、コレーという。面白いのは、頭文字がフランス語表記だとCoréeで、英語表記だとKoreaだが、順番を日本(Japan)より先にしたいのか、Coréeが好まれる。