当方はこのコラム欄で「伊『マフィア』はテロを防いでいる」(2016年12月27日)というタイトルで、「なぜイタリアではこれまでテロが発生しないか」というテーマを扱った。イタリアは欧州共通通貨ユーロ圏の第3の経済国であり、ギリシャと共に欧州文化の発祥の地だ。フランス、ドイツ、英国、ベルギーで過去、テロが頻繁に発生したが、イタリアではこれまで大きなテロ事件は起きていないからだ。そして「イタリアでテロを防いでいるのは、警察当局の対テロ対策の成果というより、マフィアの存在があるからではないか」という考えを紹介した。
イタリアでは、ヌドランゲタ(Ndrangheta)、カモーラ、コサノストラなどの大マフィア組織が幅を利かしている。彼らは地域に密着している。マフィアはイスラム過激派テロ組織が国内で勢力を拡大し、イスラム・コミュニティを作ることを許さない。フランスやベルギーでも必ずイスラム系移民たちが集中する地域、共同体が存在する。例えば、ベルギーの首都ブリュッセル市のモレンべーク地区だ。そこではイスラム系住民が50%を占める。現地の警察もやたらと踏み込めない。一方、イタリアではマフィアが存在する。イスラム過激派テロ・グループがネット網を構築して組織化しようとすれば、イタリア警察が踏み込む前にマフィアが乗り込んで、壊滅させる、と説明した。
ところが、ここにきて新しい情報が入ってきた。イタリアの情報誌レスプレッソ(L・Espresso)は「イタリア政府は1985年、パレスチナ解放機構(PLO)のヤーセル・アラファト議長(1929~2004年)と『反テロ協定』を締結していた」というのだ。情報源はアラファト議長が1985年から2004年の間、こまめにつけてきた日記だ。同日記はアラファトの死後、信頼できる2人がルクセンブルクで保管してきたが、フランスの研究機関の調査のために提供した。同誌がその内容を入手したというわけだ。
それによると、イタリアのべッティ―ノ・クラクシ首相(1983~87年))とジュリオ・アンドレオッティ外相(当時)は1985年、アラファトの強い要請を受けて、イタリアの豪華客船 Achille Lauro のシージャック事件の主要容疑者、Zaidan alias Abu Abbasをチュニジアに逃がす代わりに、アラファトは「イタリア国内で今後如何なるテロも行わない」という「反テロ協定」をイタリア政府と締結したというのだ。
イタリアでは1970年代から80年代にかけ極左・極右系のテロ組織が政府要人の誘拐・殺害や爆弾テロ等、年間2000件を超すテロ事件を引き起こしたが、アラファトとイタリア政府間で締結された「反テロ協定」以降、イスラム過激派テロ組織のテロ事件は起きていない。ただし、「反テロ協定」には大きな問題点がある。例えば、2014年に「カリフ国の建設」を宣言したイスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)が1985年に締結された「反テロ協定」を堅持するだろうか、という素朴な疑問だ。
アラファトは2004年11月11日、パリ郊外の仏軍病院で死去したが、その直後、スーハ夫人ら家族関係者から毒殺されたという疑いがもたれ、死体の鑑定などが実施されるなど、アラファトの周辺には死後も様々なミステリーがある。
そのアラファトがイタリア政府と「反テロ協定」を結んでいたという情報には疑いが完全には払しょくできない。イタリアで来月4日、総選挙が実施されるが、選挙戦中のメディアのスクープ報道にはやはりそれをリークした側の政治的思惑もあるからだ。
なお、同誌は、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が1998年7月27日、ウィ―ンのインぺリアルホテルでアラファトと極秘に会合していたと明らかにし、元首相が自身の汚職問題を隠蔽するためアラファトを買収し、偽証させていたと報じている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年2月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。