メディア系労組の春闘決起集会でアジ演説をしてきた。60分以上、全力で吠えまくり、声をからしてしまった。このような怒り狂った状況なので、いつもクールな知性派と言われる私なのだが、冷静に書くことができない。しかし、違和感を書き綴ることにする。猖獗したこの時代に、私はこの檄を叩きつける。
本日はプレミアムフライデー(笑)1周年(笑)だ。そんな夜に後期高齢者が朝までMCをする「朝まで生テレビ!」が放映される。まあ、朝生はプレ金と重なるわけだが。今日の特集について、やや違和感を抱いている。今日は女性論客特集なのだ。今日で第5弾となる女性論客特集だが、この特集が組まれること自体、まだまだ日本の女性活躍は夜明け前なのだと感じた次第だ。まるで朝生スタートの前年に施行された男女雇用機会均等法以前の価値観である。
番組HPには、この番組の「概要」は書かれているが、「趣旨」や「意図」は書かれていない。どういう意図なのかということを田原総一朗氏と番組スタッフに、さらにはこの番組出演を受けた女性論客たちに問いただしたい。テーマは女性後進国ということなのだが、あえて女性にしぼってしまうことこそが問題ではないか。
日本国民の生きづらさ、更に言うならば男性、女性それぞれの生きづらさをこの番組の企画はまったくくみとっていないのではないか。さらに言うならば、男性、女性のそれぞれの生き甲斐や生き辛さは片方からの視点だけでは読み解けない。
ましてや「女性」という設定自体が時代と逆行している。性別の多様性のムーブメントをまったく捉えていない。もう平成も終わろうとしている。時代錯誤も甚だしくないか。この、女性の活躍や進出を意図する番組自体が、逆に歴史の歯車を止めていないか。
登場する論客についても、もっと出すべき論者はいるのではないか。そして、朝生はいつまで三浦瑠麗を使うのか。タブーなき言論をうたうのなら、ぜひ、彼女の問題となっている発言の意図を田原総一朗氏は公共の電波で問いただすべきだ。彼女も正論の賞を受賞した際にタブーなき言論という趣旨のことを言っている。ぜひ、番組の趣旨と、三浦瑠麗氏のスタンスに寄り添って、放送事故上等の自由闊達な意見をかわして頂きたい。そうでなければ、この番組は偽物だ。
私は生まれた頃からの左派メディア読者であり、祖父母の代から反自民、反安倍、反岸であり、もうすぐ8ヶ月になる娘にも多数派に迎合するな、包帯のようなウソを見破れと左派英才教育をしている。そんな左翼中年が吠えたところで、何の危険性もないかもしれないが、ジャーナリズムにおいて大事なのは右か左かではなく、前を直視しているかどうかであり、ファクト、エビデンスがあるかどうかである。仮に田原総一朗氏がジャーナリストを名乗るのであれば、今日は三浦瑠麗発言の真偽について問いただすべきではないか。
だいたい、田原総一朗シンパの喜び組風の論客を集めた番組を、視聴者である女性はどう捉えるのか。田原総一朗氏は女性の味方を装っているだけであって、視聴者に寄り添っていないのではないか。この番組をテレ朝が垂れ流すことについて、私は警鐘を乱打したい。
今ここで起ちあがらないならば、女性活躍なるものが永遠の夢になってしまうのではないかと危惧し、重大な決意を込めて勇躍決起した次第だ。中学生の頃に始まった朝生は衝撃的だった。しかし、現在の朝生は無害であり、何の危険性もない。朝生に夢を見て、朝生に裏切られた立場として、忘恩的な言動だと認識しつつも、私はここで吠えなければ、知識人としての役割を果たせないと覚悟し、無慈悲な鉄槌を振り下ろす。番組も、出演者も思想難民そのものである。この番組が組まれること自体、日本の女性はもっと怒り狂った方がよい。
今日も1日中働き、家事も育児もあるので、番組は録画して見ることにする。この番組について国民はもっと怒るべきだ。朝までこの番組を見る学生・労働者・市民諸君!この番組の欺瞞を完膚なきまでに暴きだし、怒りのこぶしを振り上げろ。腐った魂を蹴り上げるのだ。母子家庭で育った私からの問題提起である。隊列を打ち固めよ。進撃せよ。
最新作を・・・。
よろしくね!
「パパの本、よろしく!寝させてあげてね!」
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。