荒川区の0歳児保育「一揆」の勝利:現代日本での「ボイス」の可能性

駒崎 弘樹

先日、荒川区のママから「助けて、荒川区は0歳児保育を五時までに制限してるの!」という相談を受けたことを記事にしました。

荒川区のゼロ歳児保育が酷すぎる件について

そこで、三歳児神話的な発言をする区議や行政を「荒川に沈んじゃえ」と批判したところ、「荒川区にあるのは隅田川だ!」とプチ炎上してしまいました。

そんなこともありつつ、立ち上がりし0歳児の親たちのネット署名は約3000人まで行き、荒川区役所内でも大いに問題、いや話題になったのでした。

親たちは区議をまわり、陳情を提出。そして荒川区は以下の新聞記事のように、ついに0歳児保育を五時以降に延長することに決めたのでした。

実際に議会で議論され、各会派が賛成し、荒川区も早期実現を約束した、という報告を親ごさんたちが嬉しそうにしてくれた時は、僕も嬉しかったです。

ボイス(発言)とイグジット(離脱)

アルバート・ハーシュマンという20世紀のドイツの政治経済学者が、組織に所属する個人が取れるアクションについて、イグジットとボイス、ということを提示しています。(細かくはもう一つあるのだけど、今回は割愛)

イグジット(離脱)は、その組織のメンバーであることをやめること。足による投票です。自治体だったら、引っ越すこと。

ボイス(発言)は、その組織のメンバーでありながら、声をあげて中から変えていくことです。

待機児童問題や保育の問題で言うと、資力があれば、引っ越してもっと条件の良い地域に行くことはできるでしょう。若い世代がいなくなった自治体は衰退が待っているだけなので、彼らの行動を変えさせる要因になります。

一方で、多くの人にとって引っ越しは負担が重く、経済的にもそうした手段が取れない人々の方が多いでしょう。

そういう際は、ボイス(発言)を使います。今回の荒川区の勇気ある親たちのように。

ボイスを発しないというのは、現状肯定のボイス

自治体との付き合いの長い僕が常に思っているのは、「役所は、声が上がらなければ問題に気づかない」ということです。

住民から声があがって、あるいは住民からあがった声を拾った区議に言われて、初めて地域に問題があることが分かります。

そうだとすると、彼らにとってみると、声があがっていない、ボイスがないということは、「今のままで特に問題がない」ということと、全く同義です。

我々は「ボイスを発さない」ということを通じて、「文句はありません。現状を肯定しています」というメッセージを、行政や政治に対して送っているのです。

ボイスを発しやすい時代

今回の荒川区の親たちは、(1)ネットで署名運動を行い、問題を見える化しました。

また、(2)知人を通してその分野のインフルエンサー(駒崎)にアクセスし、インフルエンサーが課題を拡散しました。

同時に、(3)地域の意思決定機関である区議会のキーマンにもアクセスし、陳情を行い、意思決定を勝ち取っていったのでした。

インターネットとSNSの存在によって、(1)課題の見える化と(2)拡散という空中戦が容易になったことで、(3)のリアルな地上戦である陳情も進めやすくなっています。

ボイスは自分たちのためだけではない

ボイスをあげるのを、ためらう向きもあるでしょう。日本では、我慢は美徳です。自分が我慢すれば、この問題は問題ではなくなる、と。

違うのです。
あなたが我慢すれば、次の世代が同じ問題でまた苦しむのです。

あなたは我慢という行為によって、問題を次の世代に継承しているのです。

我慢することで、問題側に加担してしまっているのです。

ボイスを発することで、そして変化が起きることで、問題が継承しないですむのです。

まとめ

荒川区の普通の親御さんたちが、小さな革命を起こしました。
彼らの小さなボイスが、制度を変えたのです。

次は、この記事を読んだ、あなたの番です。
あなたのボイスは何ですか?


編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年2月24日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。