神話としてのブランド

企業には、創業の神話、伝統、文化、風土、理念、哲学などと呼ばれるべきものがある。創業者や経営者の個人的確信ではなくて、それが組織化し、組織内で空気のように自然に共有され、呼吸され、信じられ、組織の所属員の行為を自然に律するものとなったものである。一種の信仰の対象といってもいい。

事実、かつての日本の企業では、社歌を斉唱したり、経営理念を御経のように唱えたりと、程度の差こそあれ、多分に宗教的雰囲気を醸していたものである。そして、実は、古き良き日本に限らず、現代のグローバル経済においてすら、企業の存立と成長のためには、宗教的というかどうかはともかくも、信念の共同体としての象徴を必要としている。今、その象徴に適当な名前を与えるとしたら、それがブランドというものであろう。

「××社製の製品は、やはり、違うな」とか、「××は、○○社製でなくちゃいけない」というような顧客からの評価は、とりもなおさず、その企業の価値そのものであって、それがブランドであるわけだが、顧客の評価とはいっても、実際には、神話といってもいいような思い込みに近いものであろう。しかし、そのような神話を創造できているからこそ、ブランドとして機能し、企業価値を支えているわけである。

しかも、より重要なことは、神話は企業のなかにおいても信じられていなければならないことである。なぜなら、企業内において信じられていない神話を顧客に振り撒くことは、欺瞞であり、顧客に対して誠実な態度ではないからだ。社内において信じられている神話だからこそ、社外に対しても、神話として通用するのだ。

神話は、社外においては、自社の製品やサービスに対する顧客の信頼の象徴であり、社内においては、自社の製品やサービスに対する誇りの象徴だが、同時に、その自負は、顧客からの信頼を裏切ることはできないという責任へと昇華されることで、ブランドとして、企業価値として、確立されるのである。

故に、ブランドは、企業内における日々の革新と創造なくしては、維持し得ない。現代社会の変化の速度からして、ブランドに安住したとたんに、顧客の信頼を裏切ることとなり、企業価値は崩壊するであろう。顧客の信頼を決して裏切ることはできない、その責務の貫徹は、企業を必然的に、日々の革新と創造へ向かわせるはずなのである。

信仰は、日々新たなるものとして、精進により深められるからこそ、信仰なのである。ブランドもまた、日々新たなるものとして、企業の経営努力により、進化され、深化されるからこそ、神話なのである。神話は日々想起され、その意味は日々再確認されなくてはならない。信仰に日々の祈りがあるように、神話にも日々の儀式が必要だ。故に、かつての日本では、頌歌を捧げるごとくに社歌が斉唱されていたのだ。

日本は、もはや、神話を失ったようである。さて、どうすれば神話を再興できるのか。まさか、社歌の斉唱の復活でもあるまいし。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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