都心の大動脈を7時間停止:東京マラソンにみる、政治行政の調整力学

こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

昨日(26日)の東京マラソンでは、箱根ランナーとしても活躍した設楽選手が日本記録を更新し、平昌オリンピックに負けじと日本国中が大いに湧き上がりました。

東京マラソンは私も、議員になる以前の2008年に(なぜかガンダムのプラモデルを作りながら)完走しており、非常に思い入れの強いイベントであります。

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42.195 ~東京マラソン2008始末~

例年、都議会議員はスタート地点で出発を見守るのですけど、今年は子どもが体調を崩したために敢え無くテレビ観戦となりました。残念…!

さて、東京マラソンで日本記録が樹立したのは、昨年から大幅なコース変更がされたことに因るとされており、それについて舛添前知事が経緯を記しています。

東京マラソン:なぜコースの変更をしたか

ゴールの決定には、交通の障害にならないこと、商店街の仕事の妨げとならないことなど、解決すべき問題が多々ある。この対応が大変である。まずは、交通を所管する警視庁との交渉である。交通規制の難しさが分かっているので、容易には首を縦に振らない。また、陸連やマラソン競技関係者も、タイムが悪くなるなどのクレームを出す。さらには、周辺の商業施設にも協力をお願いした。

舛添前知事が述べているように、こうした大規模イベントのコース変更ともなれば、その調整労力は途方もないものになります。

旧ゴール地点である東京ビッグサイトに向かう臨海部のアップダウンや強風は、2008年に私が完走した当時も死にそうになった想い出しかなく、プロの「記録」という面のみならず、市民ランナーにとってもこのコース変更は望ましいものだったと言えるでしょう。

そういった意味で、舛添前知事が断行したコース変更は高く評価されるべきであると思います。

さらに加えて言えば、やはりこの「東京マラソン」というイベントを開始した石原慎太郎元知事は稀代の政治家だったのだな…と思わずにはいられません。

東京マラソン誕生の経緯を振り返ると、「東京国際マラソン」としてアスリート向けに行なわれていた大会を、ニューヨークやロンドンに匹敵する市民参加型マラソン大会にしようと意図したことがきっかけです。

しかし、言うは易く行うは難し。

アスリート向けの大会であれば交通規制は数時間程度で済みますが(3時間以内で大会本番は終了するため)、市民大会となれば交通規制は倍以上に及びます(東京マラソンの制限タイムは7時間)。

さらに観光名所などを巡るコース設定をすれば、都心の「大動脈」とも言える道路をいくつもストップすることになります。

実際、東京マラソンの制限時間は「5時間が限界」と主張する警視庁とギリギリの綱引きが行なわれていたと言います。

参考:
警視庁を説き伏せろ、7時間道路閉鎖を譲るな~『東京マラソン』 / 遠藤雅彦著(評:近藤正高)

こうした障壁がある中で、関係各所とのいわゆる「水面下調整」と、報道などで花火を打ち上げて

「東京に国際的な市民マラソン大会を!」

という世論を喚起する「劇場型」の2つの手法を組み合わせ、国際標準の7時間制限かつ主要観光名所を網羅した「東京マラソン」を実現した石原慎太郎元知事の政治家としての怪腕は、やはり再評価されるべきであろうと思う次第です。

歴代知事の功績によって、ついに日本記録を生み出しなら、参加者の96%以上が完走できる市民マラソン大会へと成長した東京マラソン。

このレガシーが今後も受け継がれ、また目先に来るべき東京五輪にノウハウがしっかりと活用されるよう、私も議員の立場から引き続き努力していきたいと思います。

そろそろもう一回、東京マラソン当選しないかな…(ボソッ)。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は東京都議会議員、おときた駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年2月27日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。