フランス南部のカルカソンヌとトレーブで先月23日、モロッコ系フランス人のレドゥアン・ラクディム容疑者(26)が4人を殺害するイスラム系テロ事件が起きた。容疑者はテロ部隊によって射殺されたが、容疑者に撃たれ重体だった治安部隊の警察官、アルノー・ベルトラム中佐(45)は24日、病院で死亡した。そのベルトラム中佐の遺徳を称える国民追悼式が3月28日、マクロン大統領及び主要閣僚出席のもとパリで行われた。
ベルトラム中佐は、トレーブのスーパーマーケットに立てこもったテロリストに人質の身代わりになることを申し出て、人質女性1人の命を救った。同中佐が今年6月に結婚する予定だったことが明らかになり、フランス国民を泣かせた(仏紙ル・モンドによると、同中佐は24日、病院の死の床で婚約者と結婚式を挙げた)。
マクロン大統領は追悼演説の中でベルトラン中佐の犠牲的な行為を「英雄の死」と称えた。以下は、在日フランス大使館公式サイトからマクロン大統領の演説内容の概要を紹介する。
「彼を殺害した犯人の名前は既に忘却の淵に沈む一方、アルノー・ベルトランの名前はフランスの英雄的行為を表す名前となった。そのレジスタンス精神は、私たちがだれであるか、フランスがジャンヌ・ダルクからド・ゴール将軍に至るまで、何のために常に闘ってきたのかをこれ以上なく明確に示してくれた。フランスはすべての覇権、すべての狂信主義、すべての全体主義に対し、その独立、自由、寛容と平和の精神のために闘ってきた」と述べた。同大統領はベルトラム氏をレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールに叙し、憲兵隊大佐に任命した。
ベルトラム中佐の略歴は、サン=シール・コエトキダン陸軍士官学校を卒業し、2005年には空挺隊員としてイラクに配置され、任地で旅団による表彰とともに軍功十字章を受章する等、詳細に紹介されている。
興味深い事実は、同中佐が33歳の時ローマカトリック教会に帰依した敬虔なキリスト教信者だったことは何も言及されていないことだ。マクロン大統領は演説の中で中佐の行動が「フランスのレジスタンス精神に基づくものであり、英雄の死だった」と称賛したが、中佐が敬虔なキリスト者であったことは敢えて語らなかった。
中佐は幼児洗礼を受けた信者ではなく、33歳の時、神に出会い教会に入っている。その教会はラテン語によるミサ(トリエント・ミサ)が行われるカトリック教会でも少数派に属する。
当方の推測だが、中佐が33歳でカトリック教会に帰依した背後には、イラク派遣での体験が大きな契機となったのではないだろうか。
政治と宗教が完全に分離(ライシテ)され、国家の非宗教性、宗教的中立性を掲げるフランスでは愛国者の死が同時に殉教者であることは難しい。中佐の行為は1941年、アウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所で家族持ちの囚人のために死を選んだマキシミリアノ・コルベ神父を思い出させる。中佐の行為の原動力は愛国主義に基づく英雄的な動機というより、神への信仰だったことは疑いないだろう。
マクロン大統領はテロリストの容疑者に対しては「イスラム教を裏切った」として、イスラム過激主義を批判したが、そのイスラム教テロリストの犠牲となったベルトラム中佐の行為に対しては、「英雄の死」と称えたが、神への信仰という表現は恣意的に避けている。
ちなみに、フランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会で2016年7月26日、礼拝中のジャック・アメル神父が2人のイスラム過激派テロリストによって殺害されるというテロ事件が起きた。2人のテロリストは礼拝中の神父をひざまずかし、アラブ語で何かを喋った後、神父の首を切り、殺害した。同神父はその1年後、フランシスコ法王によって殉教者の名誉を得た(「あの日から『聖人』となった老神父」2017年7月30日参考)。
アメル神父は聖職者だが、ベルトラム中佐は治安部隊の警察官だった。前者は「殉教者」として称賛され、後者は「英雄の死」として称えられた。
オーストリア日刊紙プレッセ(3月31日付)で著作家マルティン・ライデンフロスト氏は「フランス国民の英雄(ベルトラム氏)のキリスト教信仰については、マクロン大統領は沈黙した」と指摘している。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年4月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。