親が息子を檻に監禁:障がい者差別が生んだ悲劇

中村 祐輔

写真はイメージです(写真ACより:編集部)

産経新聞の「息子閉じ込めた『おり』入り口に南京錠 自宅隣接のプレハブ内に設置」という表題の記事を読んだ。知的障害のある42歳の長男を自宅敷地内にあるプレハブの中に檻を設置し、そこに閉じ込めた罪で、父親が逮捕されたとあった。16歳のころから檻に監禁していたようだ。他のメディアの記事にも目を通したが、いかにもひどい父親であるかの印象を与えるような記事ばかりであった。

上記の記事の最後には「昨年12月、精神疾患があると診断された娘が監禁されて死亡し、両親が保護責任者遺棄致死と監禁の罪で起訴された事件があった。」ともあった。これらの事件は、「無情な家族がいた」と済まされるものではないと思う。両事件の親は、違法行為をしていたことは間違いなく、法的責任を問われるのは致し方ないことだと思う。しかし、私はこのような事件を目にするたびに、日本という社会そのものに責任はないのかと考え込んでしまう。

親族に知的障がい者や精神疾患に罹患しているという理由で結婚差別につながる例など決して珍しくないのが実情だ。私も少なからず、知っている。子供が大きくなって、親の手に余るような暴力的状況になった時、社会はそれを十分に支援しているのか、われわれ自身が問いかけるべき課題ではないのかと思えてならない。

本来は、遺伝病などを含め、いろいろな病気が、人間の多様性の一部なのだと理解し、人権を尊重しつつ、相手の尊厳を認めるような社会であるべきではないのだろうか?困っている人たちがいれば、国が、そして、みんなが助け合うべきだと思う。しかし、この国では、遺伝学、遺伝病の教育が差別を生むという理由で回避されてきたし、今も、十分な教育がされていない。隠すことで差別がなくなるはずがないのだ。

隠せば隠すほど、闇が濃厚さを増し、人知れず差別する心が生まれているかもしれないと思う。知らないことに対して、われわれは不必要に恐れを感じ、心を閉ざしがちだ。真実を知り、事実と向き合い、理解し、どんな人でも尊厳を持って接する、そんな教育をすべきなのだ。わが子を監禁して、心が痛まない親などいるはずがないと信じたい。親を非難して責めれば、それで終わる話であろうか。我々の社会が目を背けている問題を意識しない限り、このような不幸は繰り返されるように思えてならない。

この事件の父親の悲痛な心、苦悩を少しでも踏み込んで考える記事があってもいいのではないのか、そう思えてならない。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2018年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。