ドイツで22日、メルケル連立政権に参加している社会民主党(SPD)がヴィースバーデンで党大会を開き、連邦議会(下院) 党会派代表のアンドレア・ナーレス議員(47)を新党首に選出した。155年の歴史を誇るSPD(1863年創設)で初の女性党首の誕生だ。党首選はマルティン・シュルツ党首(62)の辞意表明を受けて行われた。
党首選ではフレンスブルク市長シモーネ・ランゲ女史(41)が対抗候補として出馬したが、勝敗は明らかだった。焦点は、ナーレス議員がどれだけの支持を得るかにあったが、結果は約66.35%と予想外に低迷だった。
SPDは昨年3月19日、ベルリンで臨時党大会を開き、前欧州議会議長のシュルツ氏を全党員の支持(有効投票数605票)でガブリエル党首の後任に選出し、キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル首相の4選阻止を目標に再出発した。前党首は停滞する党勢を復帰してくれる救世主のように期待されていたが、その後の3つの州議会選(ザールランド州、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州、そしてドイツ最大州ノルトライン=ヴェストファーレン州)でことごとく敗北を喫し、本番の昨年9月24日の連邦議会選では社民党歴史上、最悪の得票率(20.5%)に終わった。
連邦議会後の社民党のゴタゴタはこのコラム欄でも報告してきた。メルケル首相の率いる与党「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)と大連立を組むか、野党に下野するかで党内で意見が分かれた。大連立交渉を始めることを決めた後も、交渉合意の是非で党内で意見が分かれるなど、社民党は揺れ続けた。党大会で100%の支持を得て登場したシュルツ氏だったが、結果としては敗戦処理のためグランドに上がった投手のような立場だった。今年に入って、SPDは3回の党大会を開催している。党内が不一致であることを端的に物語っている(「『労働者の党』社会(民主)党の没落」2017年9月27日参考)。
ナーレス議員はシュルツ党首の後任に選ばれたが、その支持率は約66%と、3人に2人の支持を得たが、3人に1人は支持しなかったわけだ。党の中には、ナーレス議員も党の現在の混乱に責任があるといった声が聞こえる。
ナーレス議員はまだ若いが党キャリアは30年と長い。そのバイタリティに期待する党員もいる。大連立に反対してきた社民党青年部(JUSO)は党首選ではナーレス議員を支持した。
ドイツの複数の世論調査によると、社民党の支持率は現在、20%を割っているという。社民党は労働者層の支持を失いつつあるわけだ。
ナーレス氏は「自由は重要だ。公平はわれわれの目標だ。しかし、『連帯』はグルーバル化し、ネオ・リベラルに流れ、デジタル化した世界で最も欠けているものだ」と指摘し、「時代の大きな挑戦に対し、前進と連帯への勇気を持って歩んでいこう」を呼び掛けている。
参考までに、2015年の難民殺到以来、欧州の政界は右派化してきたが、ここにきて左派党の復活が見られ出した。
欧州のトレンドを先駆けて表す直接民主制のスイスでは、地方の小都市では右派政党が強いが、チューリヒ、ジュネーブ、バーゼル、ベルン、ローザンヌなど都市部で社民党など左派政党が台頭してきている。チューリヒ市で3月4日に実施された参事会(自治都市の議決機関)選挙で、社会民主党や「緑の党」が躍進し、市議会でも絶対多数を勝ち取ったばかりだ。
独社民党(1863年創設)は東方外交のヴィリー・ブランド、ヘルムート・シュミット、「新中道」を提唱したゲアハルト・シュレーダーといった時代の挑戦に立ち向かった指導者を輩出してきた政党だ。ナーレス新党首には欧州の左派政党指導者としてその指導力を発揮してほしい。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年4月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。