こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。
三連休最終日(4月30日)ですが、先の予算特別委員会でも都議会自民党から指摘があったドワンゴ・川上量生氏を巡る「お友達人事・癒着構造」について続報が打たれました。
東京都知事・小池百合子氏とカドカワ・川上量生氏とが織りなす「落日の癒着」
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20180430-00084668/
馴染みがない方にとっては少し複雑な案件なので、改めて簡単にまとめますと…。
2020年オリパラに併せて開催される文化事業「Tokyo Tokyo Festival(TTF)」という施策がありまして、ここには外郭団体を通じて多額の税金が投下されます。
こうした公金を用いる事業・施策というのは、原則として実施事業者や企画の選定にあたっては競争入札等を行なって透明性・公平性を担保したり、意思決定のプロセスを段階的に・厳格に行うことが基本原則です。
ところがこのTTFに係る事業については、企画提案から承認・決定というすべての過程において、ドワンゴ・川上量生氏がしかる立場にアサインされていることが明らかにされています。
上記の山本一郎氏の記事より抜粋。
もう少し詳しいこちらは、予算特別委員会にて都議会自民党が用いた資料です。参考に引用させていただきます。
必ずしもすべての事業・企画が公募や競争入札で行なわれるわけではなく、有識者による審議会や評議会が審査をすることもありえるわけですが、その場合は客観的な基準に基づき公平中立な立場の人間が厳正な審査を行うことが鉄則です。
その権限が一人の人間に集まっていれば、どのような事態が想定されるでしょうか?
この現在小池知事が取っている構造では、ある一人の個人が企画提案した事業がそのまま通っていき、そこに多額の税金が投下されるという構造になりかねないことが、火を見るよりも明らかとなっています。
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そもそものところ、なぜこうした行政事業において透明性・公平性や、権限の分散による厳格な意思決定が必要とされるのでしょうか。
それは民主主義社会だからという、身も蓋もないけれどとても重要な理由に他なりません。
政治というのは、社会的資源を効率的・公平に再配分していく営みです。そして、その社会的資源の最たるものが税金です。
そして民主主義とは、その再配分のやり方を「みんなで決める」ことにした政治制度です。
この原理原則を無視して、一人の人間に権限を集中させて税金を差配することは、民主主義社会における為政者に許される行為ではないのです。
「みんなで決める」「みんなで決めた」のだから、税金を差配する立場を預かった為政者は、その使用用途やプロセスを詳らかにし、常に有権者に対して開かれて納得されうるものにしておかなければなりません。
多くの批判や欠陥はあれど、現在のところ民主主義より優れた政体は見つかっておりませんし、東京都はもちろんのこと我が国ではこの民主主義制度が国民全体の総意として取られています。
本件(TTF等の東京都文化事業)の問題に対しては、
「川上さんのような優秀な人に、上流から下流まで担ってもらったほうが効率も質も高まる」
という意見も見られましたし、そうした誘惑に駆られるのは部分的に理解のできるところではあります。
ですが、前述の理由でそういうやり方は認めることはできません。
ネット上である論客が主張しているように、
【参考】情報公開で国が滅ぶ理由
http://kawango.hatenablog.com/entry/2018/04/04/143826
一般民衆には情報公開などする必要はなく、道理がわかっている一部の人間たちが物事を差配すれば良いのだと言うのは、少なくとも現時点においては開発独裁国でやっていただく他はありません。
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「民衆に情報を与えず、あるいは情報を得る手段を与えないでいる人民の政府などというものは、茶番劇の序幕か、悲劇の序幕に過ぎない」 -ジェームズ・マディソン-
拙著「贖罪」のあとがきでも述べたように、私は情報公開こそが民主主義社会をより洗練されたものにしていくと考えていますし、上記の論客の方ほど民主主義や民衆に絶望もしておりません。
小池知事および東京都においては、この民主主義における行政事業のプロセスとして適正さを欠くかに見える人事・決定プロセスについて、しかるべき説明と改善を求めていきたいと思います。
それでは、また明日。
編集部より:この記事は東京都議会議員、おときた駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年4月30日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。