4月27日の日銀の金融政策決定会合では、資産買入れ方針については全員一致で現状維持、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)については賛成8反対1となり、今回も片岡委員が反対票を投じた。今回から副総裁が替わったが、注目された若田部副総裁は異を唱えることなく前任の岩田副総裁と同様に執行部として賛成票を投じた格好となった。
これは事前の予想通りであったが、サプライズが展望レポートにあった。展望レポートの「物価の中心的な見通し」で、前回の2017年10月分にあった次の箇所が変更されていたのである。
「2%程度に達する時期は、2019年度頃になる可能性が高い。」
上記の文面があった箇所が今回は下記のようになっていた。
「2019年度までの物価見通しを従来の見通しと比べると、概ね不変である。」
つまり、2%程度という日銀の物価目標の達成時期の文面が削除されていたのである。当然ながら市場もこれに関心を抱き、27日の総裁会見でも質問が集中した。
総裁会見での総裁のコメントはさておき、そもそもこの目標達成時期の表記については、日銀と政府の間でかなりの確執があった部分である。
日銀としては金融政策で自由に物価をコントロールできるといった発想はそもそもなかったはずである。インフレを抑えるのではなく、デフレ予防を金融政策で行うとなれば、あくまでも物価が上昇しやすい環境を整えることが重要となる。金融政策は補助的な道具に過ぎない。
しかし、リフレ派の意向を組んだ安倍政権は日銀にプレッシャーを与え続け、その結果として2013年1月に日銀(当時の総裁は白川氏)は2%の物価目標の導入を決定し、政府・日銀は共同文書(アコードではない)を発表した。そのなかで目標達成時期については下記のような表現となっていた。
「日本銀行は、上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現することを目指す。」
この時点では、具体的な時期については表記されていない。日銀は2%は飲んだものの、具体的な時期の表明の表記は拒んだ格好となっていた。
しかし、総裁が安倍政権が選んだ黒田氏に変わったこともあり、日銀としては政府の意向を時期についても飲まざるを得なくなった。むしろ積極的なリフレ政策を掲げるというある意味、ひとつの賭けに出ざるを得なくなった。
黒田総裁の就任後まもなくの決定会合で、日銀は量的・質的金融緩和を導入し、2%という物価目標に対しては、「2年程度の期間」を念頭に置いて、早期に実現するとしたのである。
この決定会合後に発表された展望レポートでは、本文だけではなく最初の概要部分にも「2%程度に達する時期は、原油価格の動向によって左右されるが、現状程度の水準から緩やかに上昇していくとの前提にたてば、2016年度前半頃になると予想される。」とあった。
日本の消費者物価指数は量的・質的金融緩和を導入した2013年4月の前年比マイナス0.4%から、1年後の2014年4月にプラス1.5%に上昇したが、ここがピークとなった。
一見、日銀の金融政策が物価を動かしているようにみえるが、急激な円高修正とその円安による株価の上昇に加え、2014年4月の消費増税に向けた駆け込み需要や便乗値上げなどの影響が大きかった。
リフレ派はこの消費増税によって個人消費が停滞して物価上昇を抑制したというが、その後も景気そのものは拡大している。消費税で物価がコントロールできるのであれば、そもそも物価安定のための金融政策は必要ないというのであろうか。
それはさておき、その後の物価の動向はご存じの通り。なぜ物価目標が達成できないのかはすでに日銀が一番良くわかっているものだと思う。それでも目標達成時期の表記は続き、達成時期は先送りされた。
そして2016年10月に日銀は長短金利操作付き量的・質的金融緩和を決定し、政策目標をリフレ派が主張していたような物価を動かすはずであった量から、金利に戻している。このタイミングで、日銀は展望レポートの概要に表記されていた物価目標達成時期を本文だけとした。さらに今回、本文中の物価目標達成時期も削除した。
これで何か変わったわけではないが、注目されやすく、何度も先送りしていた物価目標達成時期を残す意味はそもそもなかった。異次元緩和の効果はすでに5年以上経過して薄れているが、さらに無理しての追加緩和で物価を引き上げられる可能性は極めて低い。市場に追加緩和の期待を抱かせるようなことになりかねない部分は削除し、とりあえず淡々と現在の政策を継続する姿勢を示すことが現状では重要となるとの判断ではなかろうかと思われる。
編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2018年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。