『戦国BASARA』のヒット以降、歴史ブームが到来している。武将がイケメンで史実の要素を取り入れていることがポイントだ。しかし、次のように感じたことはないか。「日本」は世界の一部なのに、なぜ「日本史」は、日本のことしか教えないのか。世界史とつなげてみることで「日本」の存在意義、強みまで見えてくる。
今回、紹介するのは『世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史』(KADOKAWA)。著者は、大手予備校で世界史の教鞭ををとる茂木誠さん。グローバル時代に知るべき新しい「大人の教養」について理解することができる。
流通や経済に無知だった鎌倉幕府
鎌倉幕府の東国武士団は、土地を守ることには命をかけるが流通や経済には限りなく無知だった。大量の「銭」が出回り、高利で貸し付ける金融業者が出現する。
「預かった質草(担保)で蔵を建てたことから『土倉』と呼ばれました。酒造業者も金融業を営んでいたため、鎌倉・室町時代に『土倉・酒屋』は、金融業者を意味しました。幕府は元寇を撃退したものの、それで日本の領土が増えたわけではなく幕府からの恩賞をもらえなかった武士たちは困窮しました。」(茂木さん)
「彼らは金融業者から安易に宋銭を借り返済に苦しみます。訴えを聞いた幕府執権の北条貞時は、1297年に債務を帳消しにする『永仁の徳政令』を発布します。これが平氏政権であれば、幕府が低利融資をするなど、もう少しまともな方法を考えたでしょう。結果的に徳政令は信用経済を完全に破壊し、新たな借り入れを不可能にしました。」(同)
その結果、武士の生活はどうなったのか?茂木さんは、結果的に武士はますます困窮することになったとしている。困窮した武士たちは次第に鎌倉幕府から離反する。捕らえられていた後醍醐天皇は隠岐を脱出し船上山で挙兵。鎮圧のために幕府から派遣された足利尊氏は幕府への反乱を宣言し、京都の六波羅探題を滅ぼす。
「東国では新田義貞が挙兵し、鎌倉幕府は瓦解したのです。しかし後醍醐天皇の『建武の新政』は、時代錯誤でした。性急な改革、恩賞の不公平は武士たちを失望させ、足利尊氏は後醍醐天皇から離反しはじめます。後醍醐天皇は新田義貞と楠木正成に尊氏追討を命じますが、湊川の戦いで正成は討死、義貞は都へ逃れます。」(茂木さん)
「尊氏は後醍醐天皇から三種の神器を接収します。1336年、光明天皇を京都に立て、建武式目を制定して幕府を開き征夷大将軍に任じられます。新しい幕府はのちに京都室町に置かれたので、これを室町幕府といいます。」(同)
室町幕府は宋銭を徴収した
室町幕府は、鎌倉幕府に比べて直轄領が少ないことから、財政として米ではなく、宋銭を徴収していた。南朝との戦いが泥沼化していたことが原因にある。
「土地に課税する段銭、家屋に課税する棟別銭のほか、商業活動に課税するさまざまな税がありました。これは幕府の財源になるほど、市場経済が活性化していたという証拠でもあります。しかも室町幕府は徴税を自ら行なわず、幕府公認の大手金融業者(土倉·酒屋)に請け負わせていました。」(茂木さん)
「現代風にいえば、○○銀行や××酒造が、財務省の業務を肩代わりしていたことになります。流通が莫大な富を生むことを学んだ室町幕府が、経済大国である元との貿易に目をつけるのは、自然な流れだったわけです。」(同)
茂木さんは、長年の受験指導の実績をいかして、授業録音、授業ノート、論述対策など、世界史の教材をHPで公開している。歴史上の人物になりきって語る授業は、あらゆる受講生を引きつけ、「世界史が面白くなった」「大学でもっと勉強したくなった」と支持を得ている。本書では一端を垣間見ることができる。
尾藤克之
コラムニスト