やはりか「石川遼神話の終わり」

中村 仁

始めに

高校生プロゴルファーとして、数々の記録を塗り替え、「日本のタイガーウッズか」の期待を抱かせた石川遼の全盛期は短く、4年前に「石川遼神話の終わり」というブログを書きました。とっくに賞味期限が切れるブログなのに、その後も、検索で見つけてくるのか、読んで下さる読者が少なくありません。

最近、ある方から「まだ読むに値するから、再掲載してみたらいかがですか」とのコメントをいただきました。そこで短い前文をつけて、ほぼ原文のまま再アップすることしました。

日本でのトーナメントでも、4日のうち1,2日は善戦しても、最終的には期待が裏切られることの連続です。不調だったある日、プレー終了後、会場の練習場で、最後の一人になるまで、ボールを打ち続けたという記事を読みました。ごく最近のことです。記者は石川を誉めるつもりで書いたのでしょう。書くべきポイントがずれているのです。

プロスポーツ選手なら、オフの期間に猛練習しておいて、シーズン入りするものです。トーナメントの途中で日が暮れるまで、猛練習すること自体がおかしいと思う必要があります。シーズン前の、シーズン入りした普段も、練習時間が十分、とれていないと考えるべきところです。

テレビCMの撮影に加え、ゴルフツアー選手会長、さらに日本ゴルフツアー機構の副会長(08年3月、最年少で就任)の仕事が加わり、会議や打ち合わせで練習どころではないのでしょう。プレーに集中できる環境を作ってあげるべきなのに、石川人気に頼りきるゴルフ界にその反省はありません。こうしてゴルフ界の宝を費消しているのです。

再掲:石川遼神話の終わり(2014年7月25日)

スポーツ報道の質が低下

この夏はサッカーのW杯、テニスのウィンブルドン大会、ゴルフの全英オープン選手権など、それぞれ持ち味の違う楽しみ方をできるスポーツが多かったですね。スポーツは国際化し、国対国の戦い、あるいは日本人選手がどれだけ通用するか、などの見所も増えてきました。わたしにとっては、スポーツ・ジャーナリズムのレベルを観察するいい機会となりました。

結論から申し上げると、スポーツの技術的レベルはどんどん上がっているのに、スポーツ・メディアというかジャーナリズムはますます話題先行、話題に仕立てる傾向を強め、レベルが落ちているということです。スポーツはエンターテインメント化しているとはいえ、どこかに真髄を極めようところが多分にあり、そこに大きな価値があります。ここらあたりで、スポーツ・ジャーナリズムは報道のあり方を見つめなおして欲しいですね。

サッカーW杯については、6月20日の「子供の教育に悪い」、7月1日の「野生動物の楽園か」、7月10日の「正体はマネー至上主義」で持論を述べました。今回はゴルフの「石川遼神話」はすでに終わっているにもかかわらず、いまだにタレント、石川選手の人気に頼ろうしているスポーツ報道の悪習を考えてみましょう。

経済紙ながら日経はゴルフ報道に力を入れています。日経の読者である経済人、ビジネスマンにゴルフを趣味にしている人が多いからでしょう。全英オープンを前に1面を使って特集(7月14日)を組みました。一般記事で「怪物、松山、再び挑む」、「石川、猛練習で手ごたえ」と2選手にエールを送っています。羽川豊というベテランプロの談話も載せ、「優勝争いを」と、読者の期待を膨らませる解説です。読売は17日に「石川、全英から飛躍へ。アンダーパー不可能ではない」との応援記事を載せました。

結果はどうだったでしょうか。まず石川選手はなんと4オーバーで予選落ちでした。松山選手は4日間で1アンダーの39位でした。マキロイ選手(英)は17アンダーで、松山選手と16打差で優勝し、日本人選手に圧倒的な大差をつけました。松山選手はプロに転向したばかりで、人気より実力でのしていくでしょうから、今後に期待していいでしょう。

問題なのは、いまだに石川神話、石川人気から卒業できないスポーツ・メディアです。現在22歳の石川選デビューは確かに衝撃的でした。高校生の時に史上最年少で優勝、史上最年少で賞金王(2009年)、高校生でプロに転向し、中年女性を熱狂させた甘いマスク、スマートな物腰で人気を独占し、ほぼ一人でテレビ中継の視聴率を何パーセントか引き上げました。天才的な素質、人気をかきたてる風貌を兼ね備え、「石川神話」が創造されたのです。

最大手の広告会社がぴったり張り付き、賞金金額よりも、提携企業からのスポンサー料、広告料のほうが何十倍も多く、年収を10億円単位で数え始め、「金のなる木」になるにつれ、おかしくなりました。親族もふところに飛び込んでくる多額のマネーに我を見失ったとみられます。多額の報酬の後にはは多額の税金が追っかけてきます。その支払いのために、さらにスポンサー料、広告料が必要になり、本業がおろそかになっていったのでしょう。

国内のトーナメントに出ずっぱりになり、毎週4日間の競技、その前日のプロアマ競技(おもに提携企業の関係者とプロとのプレー)、その間にコマーシャルの撮影がびっしり入ります。落ち着いて猛練習をすべき青年期の日々をそうした稼業のために費やしたのです。

高校卒業後、大学進学の話がでました。わたしも仕事の関係で、石川選手が参加したプロアマ競技に参加したことがあります。その際、家電トップ・クラスの支援企業の役員と話す機会がありました。顔見知りだったということもあり、こう打ち明けてくれました。「将来のことを考えると、大学に進んで、人間的な幅を広げ、体力をつけるようにしたほうがよい」と、父親に勧めました。

そうすると、父親は手帳を広げてみせ、3,4年先まで予定がびっしり詰まっており、大学にいく時間がありません」というのです。そこで「通信教育でも大学をでられますよ」とも申し上げました。結局、父親は天才少年の将来性より、目先の稼業を優先する道を選んでしまったのでしょう。

石川選手にも、不思議なところがありました。いくつもの語録があります。少年のころの「プロゴルファーになってマスターズ(世界最高峰のトーナメント)で優勝する」は、夢があっていいでしょう。その一方で、年齢、経験からして、随分、大人びたことをよくいっていました。

国内試合で優勝した後のインタビューで「パットや寄せ(アプローチ)の勝負時に、僕と観客が一体になった感覚が生じ、打つべきライン(方向)が見えてくるのです」といいました。少年にしては、いうことがかっこよすぎるのです。大成してからいう言葉です。米国で予選落ちしたときも「実力は昨年より、明らかに上がっている」というのです。誰かが入れ知恵しているのでしょうか。

父親も、金の卵を抱いて、何かを錯覚するようになったのではないでしょうか。「この子は、学問でいうと、ノーベル賞クラスの実力を秘めているのです。次元が違うのです」というようなことをいいました。そこまでいいますかねえ。

神話が崩れ始めると、いろいろな批判がでてきます。「この年で、もう、記念館を作っている。何を錯覚しているのだろう」もそのひとつです。5年ほど前、越後湯沢に「石川遼記念館、リスの家」を開設し、優勝杯などを並べ、石川グッズのショッピングサイトも作りました。ホームページを調べますと、「26年5月、閉館しました」とのお知らせが載っていました。何があったのか知りません。

好青年の石川選手が再生する可能性はあります。そのためにはいくつかの条件があります。列挙しましょうか。

・メディアは石川選手をもっとそっとしてあげて欲しい。人気先行、話題つくり先行の取り上げ方から卒業しなければならない。メディアが石川神話を増幅し、御輿をかつぎ、本人をおかしくしてしまったことへの反省がいる。

・親族と一体になった商業主義を捨て、実力、体力作りにもう一度、取り組むべきだ。日本でなく、米国で業を磨き、世界の一流選手と、極度の緊張状態の中に戦う経験がほしい。

・特に父親から独立して、歩むことが望ましい。父親との断絶が一流プロとして大成する道につながった選手は少なくない。

最後に、全英オープンに優勝したマキロイ選手について、テレビ解説者が興味深いエピソードを紹介していました。「マキロイは長い不調に陥った時、難民キャンプのボランティア活動に参加した。そこで、かれらに比べ、自分はなんて幸せなんだ、と悟った。その経験から、もう一度、自分を見つめなおし、ゴルフに新しい気持ちで取り組んだのです」。いい話でした。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年5月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。