5月3日の憲法記念日にあわせて、『現代ビジネス』での拙稿の執筆の機会をいただいた。それ以前には、読売新聞や共同通信配信各紙や信濃毎日新聞などに憲法問題に関するインタビュー記事を掲載していただいた。
私の専門は平和構築で、国際社会の動きの主に分析する。もっとも時には日本の話もしたいのだが、日本の国際平和協力分野の活動は、行き詰っている(参照:『国際貢献の夢破れた僕らの世代』)
初めの一歩に立ち返って考えなおす時期と感じている。今後も、機会をいただければ、憲法学の問題性について、論じていきたいと思っている。
たとえば、5月3日には、時事通信が、長谷部恭男・早大教授(元東京大学法学部教授)のインタビュー記事を掲載した。その中に、次のような箇所があった。
「砂川判決が集団的自衛権を認めているという議論には何の根拠もない。そこは明白に間違っている。9条の1項、2項を残したので解釈は変わらないとも主張しているが、一般原則として「後法は前法に優越する」ので、後からできた条文がフルスペックの集団的自衛権を容認しているとなれば意味自体が変わる。」
長谷部教授は、2015年安保法制は違憲である、という立場に立つ。したがって「解釈は変わらない」の意味が、自民党と長谷部教授とでは異なる。その点を分かりにくくしたうえで、あえて「フルスペックの集団的自衛権」なる概念を持ち出して自民党改憲案にコメントしようとしている姿は、印象深い。もし自民党改憲案が成立した場合には、「フルスペックの集団的自衛権」が認められたことになる、と長谷部教授は考えているのか否か?憲法学者の「隊長」として、目の前の政局ではなく、10年後、20年後を見据えた明快な発言をされることを期待したい。
それにしても、いささか曖昧な表現を使う自民党改憲案の描写に比して、よりはっきりと目に付くのは、「砂川判決」に対する断定的な言い方だ。「明白に間違っている。」と言うからには、100%の自信があるということだろう。「隊長」長谷部教授が、少なくとも憲法学界内部からは異論が出ない、と確信するのは、当然なのだろう。
しかし、私は疑う。
以前にも、「砂川事件」最高裁判決を「統治行為論」で違憲判断を回避したものと断ずる見方は、イデオロギー的に偏向した理解だと言わざるを得ない、と指摘した(参照『枝野代表の説明責任を果たしてほしい:砂川事件最高裁判決を読む』)。そこで、この俗説については、今回はあえては言及しない。
最近は、長谷部教授のように、砂川判決は、単に米軍基地の存在、つまり日米安全保障条約の合憲性を判断したものだ、という言い方を好む場合が見られる。もちろん、それこそが「砂川事件」の争点であった。だがそのことから、「砂川判決が集団的自衛権を認めているという議論には何の根拠もない」、という結論を導き出すためには、もう一歩論理が必要になるはずだ。私に言わせれば、そこで日本の憲法学のガラパゴス性が明らかになる。
私は、現在の憲法学者の方々が、あまりにも1972年内閣法制局見解を絶対視するあまり、1959年砂川判決に、1972年見解の否定を求める、というアナクロニズムの錯誤を犯していないか、疑っている。
1972年内閣法制局見解によれば、日本は集団的自衛権を保持しているが、憲法が禁止しているので行使できないという。これは、他の場面では見ることがない、奇抜な論理構成であった。人間は人権を持っているが、憲法が「公共の福祉」で制約している、といった話は、ありうる。しかし権利の行使を丸ごと憲法が禁止していると断言するのは、権利それ自体の不在の証明よりも、困難な課題である。私は、長谷部教授がそうした説明負担を引きうけているように思っていない。
2014年安保法制懇の見解はそうであったし、私自身もそうであると考えるのは、1972年内閣法制局見解が論理として破綻しており、間違っていた、ということである。
だが長谷部教授は、1972年内閣法制局見解の絶対性を主張するだけで、あとは「反立憲主義」云々の話をするだけである。手ごろな前提を論証抜きで絶対視しているので、「砂川判決が集団的自衛権を認めているという議論には何の根拠もない。そこは明白に間違っている。」と断言できるだけだ。そのようなレベルの断言には、何の知的魅力も感じない。
1972年より前の砂川判決が、積極的に集団的自衛権の合憲性を論じていないのは、全く不思議なことではない。当時は、集団的自衛権は違憲だ、という議論がなかったので、積極的に合憲性を論じる必要もなかったのだ。
日本は1951年サンフランシスコ講和条約締結と同日に日米安全保障条約を締結し、主権国家としての地位を回復した。その日米安全保障条約は、次のような謳うものであった。
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
この文言を素直に読めば、米軍の駐留は、つまり日米安全保障条約それ自体が、「個別的及び集団的自衛の固有の権利」にもとづいて「日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利」によって成立しているものである。実際に、当時の条約交渉担当者の手記などから、条約がそのような認識で締結されたことは確認できる。
当時の日本は国連に加盟していなかったため、サンフランシスコ講和条約を媒介として日本が国連憲章51条の自衛権を享受する立場に立った、という論理構成になっている。ちなみに日本は1952年6月に国会承認をへて国連に加盟申請を行っているが、ソ連の拒否権発動で、認められなかった。しかし、この状態も、砂川判決の前の1956年の日本の正式な国連加盟によって解消している。
なお日本が加盟申請にあたって明記した「日本のディスポーザルにある一切の手段を持って(by all means at its disposal)、その義務を履行する」という文言を拡大解釈する見方もあるが、俗説だ。日本が持つ実力の範囲内で国連に貢献するという特に問題のない趣旨であり、国連憲章に明記された権利を否認する意図のある文章だと読むことはできない。
よく濫用される俗説で、「憲法優越説」を振りかざして国連憲章を否定しようとする人も少なくない。「憲法優越説」が正しく、憲法が禁止している行為は、条約を根拠に実施することはできないとしても、結局、憲法典(憲法学者ではない)が禁止しているかどうかをあらためて精査するだけのことだ。日本国憲法98条2項にしたがって、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを 必要とする」義務を、「憲法優越説」で否定することはできない。
砂川事件最高裁判決は、こうした状況の中で、次のように述べていた。
「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。」
砂川事件判決は、つまり日米安全保障条約締結時の論理構成の承認であり、その論理構成には集団的自衛権の行使が内在していた。
日本の憲法学では、「わが国の防衛」が目的とされていると、何でも個別的自衛権になるといった話で、砂川判決に内在していた論理を否定するのかもしれない。しかし「わが国の防衛」が主要な目的であることは、集団的自衛権の行使の否定にはならない。自国の防衛への効果を意図して、集団的自衛権を行使するのは、むしろ当然である。集団的自衛権とは、まさに「集団」の認識によって成立するものであり、純粋無垢な自己滅私的な他国への奉仕の精神によって成立するものではない。
百歩譲って、日本の憲法学の個別的自衛権と集団的自衛権の切り分けの仕方に、少なくとも日本国内においては意味があるとして、それは砂川判決に別の論理が内在していたことの否定にはならない。他人の言説の妥当性を否定することと、他人の言説の意図を否定することとは、違う。「わが国の防衛」を語りながら集団的自衛権も語る砂川判決の論理は間違っている、と主張することは、「砂川判決が集団的自衛権を認めているという議論には何の根拠もない。そこは明白に間違っている。」という断言の証明にはならない。
砂川判決が、あえて集団的自衛権は合憲だという説明をしなかったのは、憲法98条2項にしたがって遵守義務がある国連憲章51条の自衛権規定を否認したり、留保したりする意図がなかったからである、と考えるのが、自然だ。
1960年の日米安保条約改定以降に、日本への攻撃の際には米国は集団的自衛権を行使し、日本は個別的自衛権を行使する、という論理構成が注目されるようになったのは、事実だ。だが日米安保条約には、極東条項もある。朝鮮国連軍地位協定と連動して、朝鮮半島への米軍出撃にあたって日米安保条約が援用されることも自明である。岸内閣の閣僚たちの1960年当時の国会答弁を見れば、岸内閣が、砂川判決に内在する論理に依拠して、日米安全保障条約を理解していたことは、自明である。
「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのでございます。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。しかしながら、その問題になる他国に行って日本が防衛するということは、これは持てない。しかし、他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうのはもちろん日本として持っている、こう思っております。」 (岸信介首相)
「例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」 (林修三内閣法制局長官)
「国際的に集団的自衛権というものは持っておるが、その集団的自衛権というものは、日本の憲法の第九条において非常に制限されておる、こういうような形によって日本は集団的自衛権を持っておる、こういうふうに考えておるわけであります。・・・憲法第九条によって制限された集団的自衛権である、こういうふうに憲法との関連において見るのが至当であろう、こういうふうに私は考えております。」(赤城宗徳防衛庁長官)
長谷部教授のように、日米安保条約は合憲だが、集団的自衛権それ自体として違憲、といった話は、1960年代末の佐藤栄作政権下の沖縄返還交渉本格化の時期になってようやく出てきたものにすぎず、率直に言って、論理的には、政策上の後付けの詭弁を、強引にも憲法を引き合いに出して正当化しようとしたものでしかない。
まして一橋大学卒の国際法精通者が内閣法制局長官になると、「反立憲主義だ」「クーデターだ」と叫ぶ、そんなことは憲法を守ることと、何ら関係がない。
長谷部教授は、自らの精緻な言葉で、なぜ日本国憲法が集団的自衛権を禁止していると断言できるのか、まず説明すべきだ。憲法学者だけが良識を持った法の解釈ができる、といった話では、説明にはならない。
そのうえで、さらに加えて、「砂川判決が集団的自衛権を認めているという議論には何の根拠もない。そこは明白に間違っている。」という断言について、よりいっそう責任ある積極的な論証を行うべきだ。
編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年5月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。