安倍首相が9月以降も続投する可能性が持ち直してきたと見る向きもあるようだが、昨年秋の衆院選で勝利した時点と比べて情勢が不透明になっているのは間違いない。今後の政局の展開次第で、首相が総裁選に不出馬となれば、禅譲も取りざたされる岸田文雄氏がポスト安倍に名乗りを上げ、宮沢内閣以来、四半世紀ぶりに「宏池会政権」誕生となるのか俄然、注目度が上がるだろう。
あまり知られていないが、岸田氏の生い立ちで興味深いのは幼少期の“人種差別体験”だ。祖父、父ともに衆議院議員という経歴から、ドメスティックな印象があったが、父・文武氏がまだ通産官僚だった1963年、6歳だった岸田氏は父の転勤に伴いニューヨークに移住、数年を過ごした帰国子女だ。JFK暗殺や公民権運動で揺れていた当時のアメリカ社会は、白人至上主義が根強く残っていた。
本書によると、ある日、通学先の公立小学校で動物園に行った際、二列で隣同士が手を繋ぐはずが、岸田少年の隣だった白人の少女が手を握ろうとせず、露骨に嫌そうな顔を見せていた。いまでもその光景を覚えているというから、岸田氏がいま宏池会でダイバーシティを政策理念の一つに掲げているのは、表層的なリベラル言説ではなく、原体験に基づくものだと分かる。
このエピソードは先日の日経でも報じられ、少しずつ知られつつあるが、しかし、パフォーマンスが派手な石破茂氏や野田聖子氏などと比べると、岸田氏の地味な印象はまだ拭えていない。次期総裁に誰が相応しいかを訪ねた読売新聞(4月1日)の調査では、岸田氏は5%と野田氏(3%)こそ上回ったものの、小泉進次郎氏(30%)安倍氏(26%)石破氏(22%)の後塵を拝している。また以前も紹介したようにネットでの検索量もライバル各氏と比べても低迷しており、その人柄、政治観が国民に浸透しているとはいえない。
ただし、あの宮沢喜一氏も首相候補だった時には、国民の人気が高いとはいえなかった。本書によれば、1991年の総裁選に際し、この状況を打破しようとしたのが当時、宏池会で中堅だった河野洋平氏と麻生太郎氏。ともに宏池会の広報担当として宮沢氏のイメージアップに注力し、プロの編集者に政策誌の編纂を依頼。「宮沢」つながりで当時絶大な人気タレントだった宮沢りえに「親戚ではないけど好きです」と一言書いてもらうよう、麻生氏がマネージャーの“りえママ”を説得して実現。総裁選直前に、一斉を風靡した宮沢りえのヌード写真集が出た追い風もあって総裁選勝利に尽力したという。
時代もメディア環境も違うが、ネットに通じた若手議員を擁する今の宏池会が、この歴史を教訓に岸田氏のプレゼンスを高める試みをする余地はあるといえるだろう。
しかし、歴史がそんな「喜劇」を繰り返すとは限らない。政界ノンフィクションの大御所である著者は、かつての宏池会から分派した岸田派(宏池会)、麻生派(志公会)、谷垣グループ(有隣会)が再び大同団結する「大宏池会構想」への期待を込めつつも、禅譲待ちの岸田氏に対して警鐘を鳴らす。過去の自民党において、宰相の座を禅譲する密約がことごとく反故にされてきた歴史からすれば「悲劇」は繰り返される恐れは高い。
「トップダウン」「ハード」「タカ派」「積極財政」の安倍清和会路線から、「ボトムアップ」「ソフト」「ハト派」「財政規律」の岸田宏池会路線への転換は、たしかに党内政権交代の流れとしては一定の説得力はある。しかし「加藤の乱」のようにロマンを追い求めるあまり、政局でしくじるような「お公家集団」の悪い伝統から一皮むけたのか。総裁選レースが混迷を深めるほど、真価が試されよう。