ベネズエラの副大統領、彼の名前はタレク・エル・アイサミ(43歳)。2008年から2012年まで法務大臣の要職にあった時、彼は特にレバノンの武装組織ヒズボラのメンバーのベネズエラへの入国を容易にするために査証やベネズエラのパスポートを発給していたとされている(参照サイト)。その恩恵を受けたものはシリア、レバノン、ヨルダン、イラク、イラン出身者で、少なくともその数は173人にのぼるとされている。
その目的はヒズボラの麻薬密売を容易にしてやることや、ヒズボラのメンバーによるラテンアメリカでの移動を容易にしてやり、政治活動及びテロ活動の遂行を手助けするためである。
ヒズボラの指導者ハサン・ナスララの右腕とされているアドゥル・ガニ・スレイマや資金洗浄と麻薬密売の組織Joumaaのメンバーアバス・フセイン・ハーブやカセム・モハメッド・サレー もこの発給を受けた人物であるということがある諜報組織からの情報で明らかにされているという。
彼はシリアとレバノン出身のアラブのドゥルーズ派の子孫である。彼のいとこのフサム・エル・アイサミがヨルダンのベネズエラ大使館の高官で、彼がヒズボラのメンバーらに査証やパスポートを発給していたのである。そして、シリアとレバノンへの資金提供も担当していた。
また、タレク・エル・アイサミの姉妹の一人はオランダでベネズエラ大使を務めており、ハーグの国際司法裁判所にも渡りをつけて、マドゥロ政権に不利になるような司法活動を抑える役を担っている。
もともと、タレク・エル・アイサミは弁護士で犯罪学者。チャベス前大統領の兄のアダン・チャベスと大学で友誼を交わすようになり、議員になってからチャベス大統領から信頼されて、2008年に内務相に就任している。またマドゥロ大統領は2017年1月に彼を副大統領に任命してから要職にある。クーデターが起きるのを警戒しているマドゥロ大統領は彼にそれを防止する役目も委任した。
一方、米国国務省はタレク・エル・アイサミが麻薬の密売と資金洗浄に関与しているという情報は充分に掴んでおり、米国麻薬取締局(DEA)は「カサンドラ・プロジェクト」と題して、イランが背後から操作している組織犯罪、麻薬、テロリズムをコントロールし、撲滅する計画をオバマ前大統領は進めていた。その対象になったのがイランの手足として活動しているヒズボラであった。それに協力しているのがタレク・エル・アイサミである。
米国は最初のステップとして、ラテンアメリカにおけるヒズボラの活動を制御して麻薬の密輸、資金洗浄、テロリズムを賄う資金の獲得に関係した犯罪などを防止することであった。米国の法務省がラテンアメリカで多方面に亘ってこの捜査を進めていた。先ず、その一番の対象国はベネズエラ、それに続いてボリビア、ブラジル、パラグアイ、パナマや他の国々にもその捜査を広げていた。
米国は今年2月にタレク・エル・アイサミを麻薬密売人であるという証拠は充分に挙がっているとして制裁対象の人物の中に加えた。それによると、米国法務省はタレク・エル・アイサミの協力でヒズボラがラテンアメリカで年間10億ドル(1080億円)の資金を違法に調達しているとした。
ところが米国財務省のオバマ政権時の官僚によると、オバマ前大統領はイランとの核協議の合意を優先させるべく、このプロジェクトを凍結させたというのである。
それがトランプ大統領になって、セッションズ司法長官が就任するや「カサンドラ・プロジェクト」が再開されたという。この再開にあたって、セッションズ司法長官は「米国とラテンアメリカにおいてテロ組織の脅威を撲滅すべく努力を緩めることはしない」と発言している。
もうひとつタレク・エル・アイサミが間接的に絡んだ事件がある。1994年7月にブエノスアイレスにあるユダヤ人共済協会(Asociación Mutual Israelita Argentina)の建物が何者かによって爆破され、85名が死亡したテロ事件である。AMIAテロ事件と呼ばれている。
アルゼンチン電子紙『infobae』(2018年5月7日付)によると、この事件の発端はアルゼンチンの核テクノロジーをイランのホメイニー支持派と共有することを当時のアルゼンチンのメネム大統領が拒否したことへの報復としてAMIAテロ事件が起きたというのである。
このテロ事件を担当したのがアルベルト・ニスマン検事であった。ニスマンが調査を進めて行くにつれて判明してたのは、この事件の背後にイラン政府とレバノンのヒズボラが関与していていることを突き止めたのである。そして、2006年10月に首謀者としてイランの元大臣2名、政府顧問1名、在ブエノスアイレスのイラン大使館参与1名、イラン外交官1名の5名に、ヒズボラから1名を加えて告発し逮捕命令を出したのであった。2007年にはインタポールがこの6名の逮捕に動いた。
その一方で、2013年に当時のフェルナンデス大統領はイランと覚書を交わして両国の政治、貿易、地政学の面において相互の関心を発展させることで合意が結んだ。しかし、この覚書の裏にはAMIAテロ事件の実行犯は免罪にするという約束が交わされていたのである。
上述覚書に裏合意が隠されていることもニスマン検事は突き止めたのである。2015年1月14日にニスマンはまだ大統領の職務にあったクリスチーナ・フェルナンデス、外相のヘクトル・ティメルマン、更に大統領の側近らを相手に告発。そして5日後の19日に議会の公聴会でAMIAテロ事件についての捜査報告をする予定になっていた。
ところが、公聴会に出席する前日18日にニスマンは自宅の浴室で頭部に銃弾を受けた彼の遺体が横たわっていたのである。その傍には使用された拳銃が落ちていた。当初、自殺説が有力であったが、検死から他殺という結論に至っている。
ニスマン検事の暗殺の犯人は不明のままである。しかし、同電子紙も指摘しているように、ラテンアメリカにおけるテロ活動ではヒズボラが必然的に絡んで来るというのである。そしてヒズボラがラテンアメリカで自由に行動できるのはタレク・エル・アイサミが仕切っているベネズエラを玄関にしてのルートからである。