米朝会談前夜に、われわれが準備しておくこと

篠田 英朗

El Periodico de Utah/flickr:編集部

いよいよトランプ大統領がシンガポールに入った。アメリカの大統領が北朝鮮の最高指導者と直接会談を行うという歴史的瞬間が近づいている。

前回のブログで「日本の団塊の世代」についてふれた。「団塊の世代」とは、いわば物心つく頃には朝鮮戦争が終わっていた世代の最年長組だ。日本にも韓国にも米軍基地があることを空気のように感じているので、たまにアメリカ大統領が横田基地を使ったりすると怒りだしたりする。アメリカ軍が見えないところで、永遠にどこかにいる、という前提を誰よりも強く抱えているからこそ、薄っぺらな反米主義を気取ってみたり、従米主義なるものを糾弾してみせたりする。

こういった特徴は、1960年代安保闘争の頃くらいでも、まだなかったように私は感じている。集団的自衛権は違憲、などといったのんきな言説も、団塊の世代が学生運動をやっている最中に、米国を空気のように感じながら適当に厄介者にしておく、という風潮の中で生まれたものだっただろう。

しかし、構造的要因で生まれている条件は、容易には変化しない一方、あるときに一気に変わる。6月12日米朝会談で全てが変わることはないだろうが、その予兆を示す重要なことが起こる可能性はあるだろう。戦後一貫して存在していたが、実は政治的事情で生まれている人工的な現実を相対化してみるためには、歴史を見る、地図を見る、理論を見る、といった作業をしなければならない。

アゴラで新たに松川るい参議院議員のブログ転載が始まったようだ。松川議員は、私が自民党参議院の会合で憲法の話をした際に、熱心に質問をしてくれた方だった。松川議員のような方は、外国の大学院でも訓練を受けているから、上記のような見方ができるだろう。

私自身も、今までに何度か様々な媒体で北朝鮮問題について書いてきており、実は会談後にも、いくつかの論考を雑誌等に送る予定になっている。このブログでは、松川議員に歩調をあわせて、ただ一つのことだけ、述べておきたい。

アメリカは北朝鮮にCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)を求め、北朝鮮は体制保証を求める、というのが、会談の基本構図になっている。それは「立場」として全くその通りだが、もちろん、それだけではない。

時間をかけて段階的に行われざるを得ないCVIDには、経費負担、経済支援、開発投資の話題が、密接にかかわってくるだろう。だが北朝鮮はすでに核開発に多大な投資をしている。すべてはそれに見合う「体制保証」の枠組みがあるかどうかにかかってくる。

体制保証の過程は、朝鮮戦争終結宣言によって、一つの新しい段階に至るかもしれない。しかしそれは本質的問題でも、最終段階でもない。朝鮮半島の問題は、朝鮮戦争によって生まれたものではない。朝鮮戦争は、朝鮮半島の問題の一表象である。朝鮮戦争が終わっても、朝鮮半島が持つ地政学的な事情に起因するが構造的な問題が消滅するわけではない。

「体制保証」の本丸は、在韓米軍の(縮小)撤退である。在韓米軍の撤退こそが、現実の実質的な「体制保証」であり、それ以外のものは、そうではない。在韓米軍撤退こそが、北朝鮮という特異な国家に「体制保証」を与えるという構造的な転換に見合う事態である。

もちろんこのような最終カードを、トランプ大統領が6月12日に切ってしまうということは、とても想定できない。しかしあるいはトランプ大統領の背広の奥底に潜んでいるカードが、交渉の過程で、ほんの少し、金正恩氏の視界に入るような瞬間が作られるかどうか。それは6月12日が終わっても、わからないだろうが、事態の展開の中で、引き続き論じられていくだろう。

6月12日を注意深く見守るために、われわれがまず気を付けておかなければならない。社会の老齢層が生まれた時から存在している空気のように感じられることでも、それが政治的な事情で生まれたことでしかないのであれば、いつか必ず政治的な事情の変化に応じて変わってしまう時が訪れる。そのことを、肝に銘じておかなければならない。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年6月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。