先日の新幹線殺傷事件の犯人が叔父の「自閉症で精神科に入院していたこともあった」というコメントを受け、一部メディアで「容疑者自閉症?」という見出しをつけ、後に「障害と事件が関係しているかの様な表現であった」ことを謝罪、訂正することがありました。
もちろん安易に自閉症と犯行を結びつけるような報道は慎むべきですが、メディアを非難して終わりでいいのかというのが今回の私の意見です。記事の自閉症という疾患名は現在では自閉症スペクトラム障害(ASD)となっています。一部週刊誌ではアスペルガー障害という疾患名も見えますが、この疾患も現在はASDの枠の中に組み込まれています。
ASDは従来の自閉症やアスペルガー障害よりもかなり枠の広い疾患名で、あくまで個人的な感覚ですが、今までより診断が出やすくなったのではないかと感じています。二次障害という言葉も非常に聞かれるようになりました。発達障害によって不適応になってうつなどの様々な精神症状が出た時に使われる言葉ですが、近年、発達障害の枠が広がったことにより、起きたことを何でも発達障害と二次障害で説明しようとする風潮が強くなってしまったように感じています。
例をあげます。ASDと診断が出るほどではないが、コミュニケーションに少し独特の癖のあるような子どもがいたとします。その子がかなり荒れたクラスに入り、ターゲットにされていじめを受け学校を休むようになってしまいました。この状態で初めてその子を見て、発達障害の二次障害と安易に判断してしまうことは慎むべきです。この場合は、荒れた学級に対する不適応。医療機関として診断をつけるなら適応障害が優先されるはずです。そこに本人の特徴も加味するといった感じでしょうか。もちろんいじめの被害を受けたことも忘れてはなりません。
ASDと犯罪は決して無縁ではありません。佐世保小6女児同級生殺害事件や、「人を殺してみたかった」と動機を語った豊川市主婦殺人事件の犯人はアスペルガー障害(当時)の診断を受けています。しかし、だからといって決して発達障害だったから犯行を犯したわけではありません。犯行に至るいくつもの要因が複雑に絡んだ中に発達障害も関係していると考えられます。
発達障害という枠が変化していく中で、私たちは様々なことを発達障害で説明できると思い込み過ぎてはいないでしょうか。あらゆる疾患も、その人や起きたことを説明する中核になるとは限りません。その疾患が軽ければ軽いほどそれはその人の一要素に過ぎなくなります。今回の報道では、発達障害という言葉に頼りすぎた心理、教育の世界もその責任の一端があるのではないでしょうか。
発達障害が増えているのではないかという点については『発達障害はなせ増えたのか 二つのグローバル化と生存の地すべり』という文章を書いています。興味のある方はそちらもお読みください。
勝沼 悠 専門健康心理士
桜美林大学大学院修了後、15年に渡りスクールカウンセラー、教育相談員など、教育現場や医療現場で心理職として働いています。