「ビットコインは本質的に無価値」クルーグマン説は妥当か?

有地 浩

ポール・クルーグマン教授(Commonwealth Club/flickr=編集部)

ビットコインをはじめとする仮想通貨を批判する人の数は、これを支持する人と同じくらい多い。従来の常識の延長線上にない革新的な物が現れた時には、よくあることだ。

ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン教授も、仮想通貨を厳しく批判する一人だ。彼は、ビットコインは17世紀オランダのチューリップバブルと同じく巨大なバブルなので、早くつぶれた方が良いと言っている。

クルーグマン教授は様々な理由を持ち出して、ビットコインの批判をしているが、その一つはビットコインの匿名性である。彼はビットコインの匿名性は決済手段として何の必要性もなく、ただ麻薬やテロなどの犯罪に利用されるだけだと批判している。しかし、これはおかしい。

匿名性はビットコインなどの仮想通貨だけの専売特許ではない。紙幣でも金貨でも、それに使用する人の名前が書いてあるわけではない。だからこそ、マネーロンダリング規制では金融機関が顧客と現金等の取引をする際に、厳しい本人確認を義務付けているのだ。仮想通貨でも、交換所で本人確認がなされることによって、匿名性の欠点は克服される。

クルーグマン教授はまた、ビットコインが決済の手段としては、ダサく、のろまで、高コストであり、デビットカードやペイパル、ベンモの方がましと言っている。確かに現時点でビットコインは、1ブロックのサイズが1メガバイトしかなく、ひとつの取引が完了するまでに約10分を要するため、クレジットカードのシステムのように短時間に大量の取引を処理することができない。また、マイニングと呼ばれるブロック生成作業に大量の電力を消費するなど、あまり実用的でエコな決済手段とは言えない。

しかし、こうした欠点は、仮想通貨を扱う技術者の間では当然認識されており、仮想通貨の中にはこれらの点を改善したものが出てきている。今後技術がさらに進歩すればこれらの欠点は完全に克服されるだろう。

クルーグマン教授のビットコインに対するもうひとつの批判は、ビットコインが本質的に無価値で、何の資産の裏付けもないというものである。彼によればドルも不換紙幣なので、何物にも結びついてはいないが、ドルは税金の納付の際に受け取ってもらえ、また、その価値はFRBが金融調節をして維持に努めていると主張する。しかし、クルーグマンは名のある経済学者だから知らないはずがないと思うが、貨幣自体はそもそも無価値である。それが多数の人々によって価値あるものだと認識され、誰もがそれをモノやサービスの対価として受け取るようになったら貨幣となるのである。

よく貨幣の本質を語るときに例として出されるのが、太平洋のヤップ島の石の貨幣である。大きくて重く、運ぶのさえ容易でなく、何の役にも立たない石だが、島民がそれを価値あるものと考えているから、売買の対価として使われた。この石の貨幣は、ドルや円のように法律で強制通用力を与えられていないが、貨幣なのである。

逆に、たとえ強制通用力を国家から与えられた通貨であっても、第一次大戦後のハイパーインフレ期のドイツ・マルクのように、国民の信用を失ったマルク紙幣はただの紙切れの価値しかなかった。この意味で、ドルや円などの法定通貨と仮想通貨は同じ土俵の上に乗って、国民の信頼を得る競争をしているのだ。現在主要国の中央銀行が取っているような超金融緩和が今後も続けば、たとえ法定通貨であってもやがて仮想通貨に負ける状況が現れるかもしれない。

そういえば、クルーグマン教授は1998年にタイム誌の記事で、「インターネットは2005年までには経済への影響力はファックス機程度のものになっているだろう。」と述べて大きく予想を外したが、今回はどうだろうか?