日銀の黒田総裁は15日の記者会見において下記のような発言をしていた。
「1998年から2013年まで15年続いたデフレ、低成長というものが、一種のデフレマインドとして企業や家計に残っています。」
これについて記者から「その15年のデフレ期間という認定は、日銀のコンセンサスでしょうか。」との質問があり、黒田総裁は下記のように返答した。
「15年間デフレだったというのはデータでも示されていますし、その点に何ら異論はないと思います。なお、2013年4月以来の量的・質的金融緩和によってデフレではない状況になったということは、政府も認めていますし、私どももそう言っているわけですが、デフレからの脱却というところには、政府もまだ踏み切っていないわけです。」
1998年から2013年まで15年続いたデフレというのは、物価の指標であるGDPデフレーターの推移から示されているものかと思われる。これをみると確かに1998年から2013年まで低下基調となり、2014年からは回復基調となっている。
それでは2013年4月の日銀による量的・質的金融緩和によってデフレが解消されたといえるのであろうか。もしそれでデフレが解消されていれば、長短金利操作付き量的・質的緩和策まで踏み込む必要性はあったのであろうか。
この期間の日銀の物価目標である消費者物価指数の推移をみると別な姿が浮かび上がる。消費者物価指数は年間ベースでみて1983年に2%を割り込んでから、原油価格の高騰や消費増税による影響により2%を超えることがあっても、それは一時的となりほぼ2%を下回った状態が続いている。
もし日銀が物価目標をGDPデフレーターとして、その低下基調がストップし回復基調が見えたときに、デフレは脱却したと判断すれば、異次元緩和と呼ばれる緩和策を修正していたのであろうか。
GDPデフレーターと消費者物価指数の動きの違いはどのように説明するのか。たとえば、1997年の消費増税などによってデフレがスタートし、それをストップさせたのは2013年4月以来の「量的・質的金融緩和」と判断するのであれば、何故それによって消費者物価指数を対象としている物価目標は達成していないのか。これにはどちらかに特殊な要因が影響していたのではないのか。
1998年というのは債券関係者にとっても記憶に残る年であった。10年債利回りが初めて1%を割り込み、日本国債が格下げされ、年末に運用部ショックが起きている。長期金利で見る限り、たしかにデフレがスタートした年と判断されるかもしれない。しかし、その長期金利でみると、それは現在ゼロ%近辺に張り付いた状態にある。
編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2018年6月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。