麻原彰晃とオウム真理教の幹部6名の死刑が執行され、再びオウム真理教が大きな話題となりました。先日、私が出た勉強会でもなぜあれほど優秀な若者達がオウム真理教に入ってしまったのかということが議論になりました。
しかし、私は議論の前提となる部分に少し疑問がありました。オウム真理教は今という視点で見れば明らかにカルトで悪ですが、事件発覚以前にそう言い切ることは決して簡単なことではありませんでした。麻原彰晃と同じ日に死刑になった幹部達は1984年にできたオウム真理教に80年代中期に入信しています。カルトに入ったというよりは、一緒にカルトをつくったという側面もあったでしょう。
満たされない状態で閉塞感を抱えている若者は多く、自分を変える、社会を変えるという誘いがとても魅力的に見えるのは想像に難くありません。そういった若者が入口の段階でカルトを見抜くのは難しいのではないかと考えられます。考えるべきはなぜ彼らがカルトと気づけず入信してしまったかではなく、なぜ早い段階でカルト的なものと距離を置けなかったかではないかと思います。
私はカルト的なコミュニティの特徴はこの三つと考えます。
1 他のコミュニティを否定し、コミュニティの所属を第一とすることを強要する。
2 社会のルール(法律など)よりコミュニティのルールを優先すること強要する。
3 自分で考えることを否定し、自分で考える余裕を奪う。
これらの特徴が見えたら、その組織と距離を置くよう心がけることが賢明でしょう。特に3は判断する力を奪うので、その兆候が見えた段階で注意する必要があります。
この特徴は宗教団体に限りません。日大アメフト部の悪質タックル事件にもこれらの特徴を見ることができます。ブラック企業の多くにも見えることでしょう。長時間の拘束は1と3を同時に満たし、2を容易にさせます。カルト的な洗脳、判断力を奪うというのは決して新興宗教だけに限ったことではありません。様々な社会の集団に中にあるのです。オウムという特異だけに注意を向けるのではなく、そういったありふれた集団のメカニズムを意識することも道を踏み外さない為に大事なのです。
勝沼 悠 専門健康心理士
桜美林大学大学院修了後、15年に渡りスクールカウンセラー、教育相談員など、教育現場や医療現場で心理職として働いています。