6月13日に日本に戻って、1か月が過ぎた。目が回るような忙しさに加え、この蒸し暑さは大変だ。1か月間、いろいろな方にお会いしたが、期待と厳しい目が背後から突き刺さる。
昨日は、「がんプレシジョン医療プロジェクト」の発足会を開催した(開催していただいたというのが正しいが)。予想を上回る多くの方に参集していただけた。この会を開催するために尽力いただいた方々に感謝するしかない。来賓の方々のコメントを聞いていた時には、胸の奥底から熱い思いが込み上げてきて、涙が出そうになった。6年前に日本を離れた時の複雑な思いと、昨日の応援メッセージが交錯した。
私がどうして日本に戻ろうと思ったのかと頻回に聞かれるが、シカゴにいても送られてきた、患者さんからの多くのメール、それがすべてだ。
無神経な医師からの言葉、希望のない日々の苦しさ、わが子の死を待てと言われた親の悶絶するような悲しみ、その暗闇に少しでも灯りを提供したい、単にそれだけだ。日本の患者さんに希望を提供したい、そして、笑顔を取り戻したいのだ。
いつまで体力が持つのか自信はないが、倒れるまで走り続けるしかないと改めて心に誓った。手立てがなくなると同時に、希望を絶つがん標準治療は、医療の持つ使命を失った医療だと思う。医療は人を敬愛するところから始まるものだと信じているが、今は、そうではないと感ずることが少なくない。
安易に告げる残された時間、それがどれだけ、患者さんの人生の質を下げているのか、それを考えずして医療と呼べるのか?是非、多くの方が考えて欲しいと願っている。
この1か月、危機的だと思ったもう一つのことは、個人・企業から失われつつある情熱だ。研究費がもらえれば、社内で認められれば……をしたいという声の多さに愕然とする。自らの情熱で動かそうという気持ちが表現できないのか、伝わって来ないのかわからないが、多くが消極的で、受け身なのだ。研究費や出世が人生の目標では、あまりにも、味気ないのではないのか。
自分はどんな足跡を残したのか、それが誇れる人生であってほしい。講演では、市立堺病院での体験をもとに、「絶望の中で生きることの苦悩を知った」ところから私の研究生活がスタートしたことを話したが、この突き動かいしたい気持ちが、もどかしいほど伝わらないのだ。
もっとひどいことは、ある医師が、免疫療法を執拗に非難する一方で、米国でのセカンドオピニオンを斡旋する組織と結託していることだ。セカンドオピニオンを受けるだけで百万単位のお金がかかる。自分が臨床腫瘍医でありながら、米国でのセカンドオピニオンを勧めるのはどうしてか?私には理解不能な世界だ。
日本で希望がないなら、日本で希望を提供するために尽力すべきではないのか?私の所に来れば、米国の最新医療の情報を提供しますと言うならともかく、海外での高額なセカンドオピニオンを斡旋するなど論外だ。
と他人のことを愚痴っていても何も変わらない。患者・医療関係者・研究者・企業が集まって、日本国内で多くの希望が提供できる、そんな明日を目指したい。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2018年7月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。