医療制度が生む寝たきり老人
横浜市の大口病院で起きた連続中毒死事件は、殺人容疑で逮捕した1人の看護師にすべてを押し付け、終わりにしてはならないと思います。2年前の事件発生当時、2か月で48人の患者が亡くなっているとの情報が飛び交いました。当然、不自然に思うべき院長は、何を感じ、何をしようとしたのか、その責任はどうなるのかですね。
終末期医療、死期が迫った患者を大勢、引き受けていた病院の一つが大口病院で、家族も必死になって受け入れ先を探し、入院させていたという記事もありました。この病院は最期を看取るための受け皿でもあり、次々に多くの寝たきり老人が送りこまれ、「もう面倒を見切れない」と、それが消毒液による殺害を招いたという解釈もありえないではありません。
そうなると、手を下した看護師の容疑追及、院長の認識の程度、死を待つばかりの老人患者を受け入れることで病院経営が成り立っている終末期医療制度というように、考えるべき問題はどんどん拡大していきます。最終的には、財政再建のために、社会保障制度の見直しが必要であり、老人医療の改革も不可欠となります。事件の背後にある闇は深いのです。
社会、医療、経済部の共同取材を
新聞報道を読む限り、横浜支局が主に取材、執筆しているようですね。本来なら、社会部、経済部なども共同で取材にあたり、殺人事件として終わらせず、老人医療、社会保障のあり方と関係づけ、掘り下げた情報を提供して欲しいところです。新聞が中核的メディアとして生き残るために、何をすべきかも試されていると、思います。
始めは、恨みや悩みを持った院内関係者による事件で、よくある話の1つと思っていました。それが犯人1人にとどまらず、院長の病院経営に対する認識、病院が多くの寝たきり老人を抱えていた理由、寝たきり老人を大勢、生み出す老人医療制度の矛盾など、事件をめぐる闇は深いのです。
新聞は地元の支局が主に、取材に当っているようですね。それも「消毒液の原液混入か」、「無色無臭のジアミトールか」、「容疑者宅を捜索」など、容疑者(31歳)の周辺の取材にとどまっています。そうではなく、社会部、医療情報部、経済部などが共同でチームを作り、取材すべきです。新聞が生き残るためには、殺人事件から医療制度全体へと、視点を広げて行かねばなりません。
かりに2か月で48人もの死者という数字が正しいなら、遺族からクレームがきていないはずありません。院長は当時、死者の多さについて、「医療法の改定で重篤な患者が多く、入院することと関係があるのかあるのかなあ。数が多いという印象を持った」と、発言したそうです。業界では「終末期患者は脱力状態で文句をいわないので、扱いやすい」という本音もささやかれる始末です。
社会保障の意義に疑問
それにしても、のんびりしていますね。「数が多いと、思った」というなら、原因を追及すべきだし、病院の手に負えないというのなら、警察とも協力すべきでした。遺族はどうしていたのでしょうか。死期が迫っているところを病院が引き取ってくれ、これで区切りがついたと、ほっとしたのでしょうか。医療の必要性に疑問が生じ、解釈に苦しむ事件です。
日本の巨額の財政赤字は増える一方で、大きな原因は社会保障費の増大、その1つが医療費の膨張、それも高齢者医療費の急増です。2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になり、医療費がさらに膨張します。その矛盾の一端が、寝たきり老人を大量に生み出す制度の矛盾です。この問題には、日本では議論を避けたがる延命治療の抑制、尊厳死や安楽死が絡んできます。
しばしば指摘されるのが、日本には寝たきり老人があまりにも多く、ある統計では2025年に230万人にもなるのに対し、特に欧州では、日本のような寝たきり老人をあまり見かけないということです。高齢になり、自分の口から食べられなくなったら、日本のように胃ろうや点滴による延命はしない。「多くの高齢患者は寝たきりになる前に死んでいく」とか。
今回のような事件をきっかけに、背後にある多様な問題を掘り下げてみるべきです。日本の医療制度が抱えている壮大な矛盾を解明し、改革に乗り出すべきです。「財政は危機だ」と騒いではみるものの、政治、行政は、本当に必要な議論から目を背けているのです。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年7月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。