小池知事は「説明責任から逃げてはいけない」というシンプルな結論

音喜多 駿

こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

昨日、くだんの件でドワンゴ川上量生氏と川松都議の公開討論会が開催されました。

過去の経緯と私の見解はこちらから↓

ドワンゴ川上量生氏の独白で、小池知事・東京都のずさんな公金管理意識が発覚か

これでは「ブラックボックス」再びだ。行政の「手続き」をすっ飛ばしてはいけない理由

まずは様々なリスクを取って公開討論を実現させた両氏に心から敬意を表したいと存じます。

討論の中では、川上氏がこのスキームについて内田茂前都議に説明に行っていたこと、都職員が自民党を名指しで警戒していたことなど新たな事実がいくつか示されたものの、総じて言えば私の従前の見解を覆すものはありませんでした。

結局のところ、随意契約にせよ代理店を噛ませるという(グレーな)スキームにせよ、それをやると決断した段階で小池知事が説明責任を果たすべきだった

この点につきます。

執行機関およびその責任者(知事)に対して、説明責任が十分でなかった場合に議会が見解を求めるのは当然の行為であり、(別に肩を持つわけではありませんが)川松都議の質問自体にはなんら瑕疵はありません。

もちろん事業者の川上氏からすれば、「余計な質問さえしなければ、あのまま上手く行ったかもしれないのに!」と思う気持ちはあるでしょう。

しかしながら、元を辿れば「突っ込まれた時に十分な説明ができない体制」でこっそり突き進もうとした知事サイドに責任があることは明らかであり、今回の討論ではその点が改めて明確にされたと言えるでしょう。

民間事業者であり、おそらく公共事業を受注する経験もそれほどなかった川上氏が「公共調達」についての理解が不完全なのは仕方ないことであり、また民間視点で言えば「不合理」と思われる点も多々あるかもしれません。

しかしながら、

「説明すると批判がきてしまうから」
「◯◯党がうるさいから」
「その方が効率が良いから」

という理由で現行のルールから抜け出し、水面下でひっそりと意思決定を行うことが許されてしまえば、民主主義は成り立ちません。

それは突き詰めれば、権力者による独裁・専横を招くことになりかねないからです。

透明性を高めて為政者が説明責任を負うことは、最悪の事態を招かないための「民主主義のコスト」なのだと言えます。

批判が怖いからと言って有権者・議員への説明から逃げるような人物は、そもそも民主主義制度下において為政者(首長)になどなるべきではないのです。

情報公開の徹底を主張してきた小池知事は、上記のことなど私が指摘するまでもなく理解されていたはずであり、説明責任から逃れようとした挙げ句に、結果としてTTFを暗礁に乗り上げさせた政治的責任は極めて重いものがあると指摘せざるを得ません。

川松都議は(川上氏については)今後は追及することはない旨を発言されていましたが、都知事および東京都側の一連の対応については、また別途議会として引き続き確認・追及していく必要があるでしょう。

いまの状態からTTFをどのようにリカバーしていくのかも含めて、私も引き続き調査・提言をして参りたいと思います。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は東京都議会議員、音喜多駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年7月30日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。