この週末は、アゴラの夏合宿だった。平成最後の夏とあって、テーマは「ポスト平成の民主主義を問う」。新しい時代を見据えた政治・政治報道のこれまで、これからについて、まさに歴史の当事者・目撃者ともいえる重鎮から、次代を担う若手まで、それぞれの論客の皆さまから思い思いに、合宿ならではのオフレコもまじえて、とことん議論いただいた。
私は、政治報道をテーマにした第1セッションで司会を兼務。永田町の動向をマスコミ、ネットで機動的に発信している安積明子さん、テクノロジーで報道や世論調査に新風を吹かせる米重克洋さん、役所時代の経験もまじえた宇佐美典也さんというキャスティング、まさに期待通りの展開。オフレコの会なので詳細は控えたいが、もしAbemaTVの討論番組でやっても2時間もつ内容だったと思う。
そして、クライマックスは第2セッション。池田信夫の司会で、田原総一朗さん、浅尾慶一郎さん、八幡和郎さんのお三方をお迎えしたが、みんなの党を率いた時期もある浅尾さんのリアルな現場視点の話が深みを与え、さらに「朝生」以来、約20年ぶりの共演となった田原さんと八幡さんの議論にも注目が集まった。
(ちなみに1988年に八幡さんが通産省現役課長でありながら出演したときの模様がこちら。いまの宇佐美さんと同じ年頃なのに風格が違うゾ)
話が少しそれたが、私が編集長就任前からを含めて合宿の参加は5年目だが、田原さんのボルテージがもっとも上がった。議員在職中に「朝生」に出ていた浅尾さんの存在も、田原さんが平常運転になりやすかった要素があったと思うが、八幡さんの持論が導火線となって84歳の闘争本能にスイッチを入れた。
オフレコなので詳細を書けないのが残念だが、さわりだけ明かすと、皆さんも周知のように、田原さんと八幡さんは、モリカケを巡って見解は真っ向から対立している。アゴラの過去記事の範囲でいえば、田原さんが「嘘と無責任がまかり通っている」と安倍政権を猛批判。一方、八幡さんは「森友はプチスキャンダルで、加計は問題なし」との見方を示してきている。
そして期待通り(?)にこの日、八幡さんがいつものように飄々とロジカルに持論を語ると、田原さんが「いい加減なことを言うな!」と追及。例年の合宿の田原さんは、コメンテイターの役回りに徹しているが、今回ばかりは“朝生モード”で池田から司会の座を一時奪取。まさに「神回」ともいえるほど、闊達な議論が行われた。
考えてみれば当たり前のことだが、同じ意見の持ち主同士が集まったところで議論は白熱しない。テレビ的には田原さんが“正義の味方”的な見え方もあるかもしれないが、蓮舫問題のときに、蓮舫夫婦とゆかりのある田原さんをも追及した経緯もある八幡さんという“ヒール”がいてこそ、異なる見解をぶつけあって議論が面白くなるのだ。
…と、思ったところで合宿からの帰路、なにげにSNSをみていたら、こんな記事に出くわした。
TBS『時事放談』が44年の歴史に幕、政治討論番組は“オワコン”なのか|AbemaTIMES
先日のアベプラ(AbemaPrime)の振り返り記事だが、政治討論番組が地上波から姿を消しつつあるという切り口がいかにもこの番組らしい。「政治とメディア」をライフワークにしている身としては、なかなか興味深く拝読した。
オワコンになったのは「ゲストの高齢化」だけが理由か?
引き合いに出されている「時事放談」が終了する理由として、 TBSの公式見解では、「ゲストの高齢化」などをあげている。もちろん数字が取りづらくなっていることも裏にはあるのだろう。
また、アベプラでは、全体的な傾向として、ネット時代になって政治家のアピールの場がネットに変わったこと、田原さんのように政治家に毅然と物を言える司会者がいなくなってきたこと、あるいは出演した堀潤さんの指摘するように、「朝生」型の「AかBか」という二元論的なものから、テーマが複雑化していることなども指摘されている。いずれも大筋では私も同意見だ。
しかし、私はもうひとつ大きな理由があると思う。視聴率の伸び悩みも政治討論番組が減っている主な理由だろうから、その背景として、白熱した「トークバトル」の気風が少なくなり、見応えが薄くなってきたのも理由にあるように感じる。
アゴラの合宿の話で述べたように、議論は異論を持つもの同士がぶつかり合わないと白熱しないもの。その本質は、テレビ全盛期であろうと、YouTube、Netflix全盛のネット動画時代であろうと変わらない。その意味では、近年、「ヒール」を出さなくなってきた側面も大きいのではないか。
夏野剛さんが近刊『誰がテレビを殺すのか』でも指摘しているように、左翼的・反権力的な等式を、視聴者層のボリュームゾーンであるシニア層に向けているがゆえに、彼らにとって「不都合」な事実や存在である「右派」とみなされる出演者は呼びたくない。しかし、田原さんも著書『暴走司会者』で書いているように、朝生が一時代を築いたのは、題材のタブーを恐れず、右から左まで多様な論客を呼んでガチンコで舌戦をさせたからではないか。
もちろん、堀さんの意見のように、いまの世の中、問題の構造が複雑化していて、現役世代の視聴者の好みに合わなくなっている面もある。そのあたりは若い世代への調査もしてアジャストした企画をつくればいいだけの話。
これからの政治討論番組が「神回」を連発するには!
ここ最近はご無沙汰しているが、TOKYO MXの「モーニングCROSS」が、キー局制作者たちのひそかな注目を集めていて、新しいコメンテイター探しのヒントになっていると聞く。CROSSは、私と望月衣塑子氏を同時出演させちゃう胆力があるから支持される。右から左まで幅広いのは言うまでもなく、初期の頃は、朝から陰謀論をぶって視聴者の度肝を抜いたこともあった。
「朝生」も今回の合宿を機に、皇室問題などで、八幡さんを久々に呼んでもらえたら際どい面白さも期待できる。池田もエネルギー以外で幅広く議論できるので、かつて青木理氏を論破した神回の再現もあるだろう。
合宿の第1セッションでも話題にあがったが、ネット時代は、政治的価値観の分断を背景に、紙媒体やネットメディアのクラスター化も進んでいる。だからこそ大多数にリーチ出来る地上波テレビは、言論のプラットフォームとして大きな役割がまだあるはずだ。政治討論番組をオワコンにしないためには、その基本に立ち返ることもヒントではないか。
ちなみに、アゴラは、シニア層が好む反権力でも、安倍首相支持層が好むリフレ路線でもないから、地味で画にはならない「質実剛健」路線だが、いつでも(リベラル側からみれば)「ヒール」な論客を送り出せるようにありたい。
私自身も、バズフィードやハフポスト、NewsPicksなどリベラルでファッショナブルな編集長たち「善玉」に対する「悪玉」として、朝生なりアベプラなり、お呼びいただけるように精進せねばと思ってます。