イクメン、イクボス同様、家族サービスという言葉が嫌いだ

夏休み、スタート。久々に週末をゆっくり過ごす。家族イベント、多め。娘、水族館デビュー。城南島海浜公園の浜にも連れていったり、横浜の元町を散歩したり。盛りだくさんの1日。料理もたくさんつくった。

世間では「家族サービス」と呼ぶのかもしれない。私もそう言いそうになり、ふと立ち止まった。そう、「家族サービス」という言葉が苦手なのだ。なんだろう、このやらされ感、特別感が伝わる言葉は。もっと言うと、家庭のために日常的なことであれ、非日常的なことであれ、しないのが当たり前で、何かすることを今さら騒いでいるかのように見える。

これは、私がイクメンやイクボスという言葉が嫌いな理由とも似ている。たしかに、言葉は人を動かす。しかし、仕事の量などの配慮がないまま、こんな言葉を連呼されても、労働強化が進むだけだ。そもそも論で言うと、この言葉がある限り、育児に父親が参加するのは異常だということになる。

毎日、4時間、家事や育児に関わっている。夏休みはより増えそうだ。まあ、地道に頑張っているし、それが当たり前だと思うのだけど。なので、意識高い系イクメン、イクボスムーブメントとは距離を置くことにしているのだが。

というわけで、家族サービス、さらにはイクメン、イクボスという言葉がなくなった瞬間にこそ、男性の家事労働への参加が進んだ社会は到来するのかもしれない。さ、今日も頑張りすぎず生きますかね。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年8月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。