投資教育は、資産形成におけるリスクに関する学習である。資産形成においては、程度の差こそあれ、投資のリスクをとることが前提になっているからである。
さて、そもそも、リスクをとれるということは、資産形成の目標金額と実績金額との間に多少の差があっても、深刻な問題にならないことが前提になっている。それに対して、絶対的な必需性のもとにある資金を投資のリスクに晒すことはできない。この違いが決定的に重要である。
例えば、老後生活資金の形成において、最低生活保障の原資は、投資の成果によって不足する可能性に決して晒されてはならない。故に、公的年金等の給付が欠かせないのである。その最低保障を補完するものは自助努力である資産形成であるが、それは、より豊かな、より良い、より楽しい生活のためのものであるからこそ、変動のリスクが許容されるのである。
数年以内に少し豪華な旅行をしてみたいと思って、その目標のために資産形成を始めるとして、その運用内容について、いろいろと自分の頭で考えて多少のリスクをとることは面白く、楽しいことではないか。うまくいけば、より豪華な旅行ができる、あるいは予定よりも早く旅行に行ける、そうした不確実性を生活の喜びのなかにとり込むことこそ、資産形成におけるリスクをとることの本来の意味だろう。
もちろん、リスクの制約として、旅行自体が不可能になるほどの大きなリスクをとってはいけないのだが、そうしたことも、経験によって学習していくことではないか。仮に失敗した場合でも、所詮は娯楽としての旅行である。無理に行く必要もないわけだ。
ならば、たまたま、旅行を予定していた時期に資産価格が下落していても、そこで資産を売却して無理に現金化する必要もない。むしろ、旅行を延期して資産形成を継続した結果として、資産価格が大きく回復して予定よりも豪華な旅行ができるという可能性をとるべきであろう。
リスクとは、良くも悪くも不確実性なのである。こうしたスリリングな体験、娯楽の本質である多少の不安と期待の混淆の体験を通じて、リスクや長期的視点等の真の意味が少しずつ理解されていくのだと思われる。投資教育には、学ぶこと全てに共通だが、学ぶ喜びと楽しさが必要なのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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