「あいつは終わった」と何百回と言われてからが「弱者」の生き様

こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

先日、同年代・同大学出身という共通点があるプロ格闘家の青木真也さん、クリエイターの三浦崇宏さんと対談させていただき、記事になりました。


「弱者の生存戦略」83年生まれの格闘家、政治家、クリエイターが明かす

自分たちで言うのもなんですが、3人とも色々な職業の人にも当てはまる、けっこう良いことを言っているのではないかと思います(笑)。

特に青木さんは名言連発で、この部分は自分にも改めて刺さりました。

一番最悪なのは、それなりのポジションについた時に、急に保守化すること。格闘技の世界でいえば、それまで「誰でもかかってこい!」「チャンピオン、俺と早く戦え!」と言っていたのに、いざ自分がチャンピオンになった瞬間に、戦う相手を選び出しちゃうような。ちょっと弱めの外国人選手とかを日本に呼んで、防衛を重ねる。そんなことをしたら、自分を応援してくれた人が、一瞬で逃げちゃいます。

自分の中には、この人たちだけは裏切ってはいけない、という人がいるんです。言い方を変えれば、試合を通じて、自分が心を動かしたい、と思っている人。その人達は、いま、自分を最も支えてくれている人なんだけど、もし自分が軟弱な相手と戦ったり、挑戦を辞めたりしたら、一瞬で見切りをつける厳しい眼をもった人たちでもある

いつまでも誰かにケンカを売るというよりは、ケンカを売っていく中で見つけた、自分を本当に支えてくれる人たちを裏切らないように生きる……そのことが重要なんじゃないかと思いますね。弱者には失うものがない、とは言ったけれど、そういう人たちだけは失ってはいけない
(上記記事より抜粋、強調筆者)

これは私自身も、常に心がけていることで。

例えば私で言えば、

「大きな政党に入った方がいい」「どうせ○○党に行くのだろう」
「今の知名度なら入れる、今のうちだ!」

等々と言われることが多々あります。

まあ政党の方からお断りなんでしょうけども(苦笑)、仮に私がそんなアクションを取ったとしたら、私に期待していた人たちは一瞬で逃げていくと思います。

単に議員バッジを付け続けるだけ、あるいは組織的な支援を受けて政治活動を円滑にしていくだけなら、そっちの方が「楽」なのかもしれません。

しかしそれは「挑戦者・音喜多」の死を意味するのであって、単なる政治屋として存在することはできても、社会的な意味はほとんどなくなってしまうでしょう。

で、こういう生き方をしていると、とにかく良くあるのが

「あいつは終わった」

という批判・評価なんですよね。あるいは誰かの批判ばっかりしている、とか。

終わってないわ!と(笑)。むしろ挑戦しなくなって黙った瞬間に「終わる」んだよといつも思っています。

確かに今は都政がすっかり下火になってテレビで取り上げられることは少なくなりましたが、様々な登壇依頼や都政相談は継続的に・頻繁にいただきますし、それはこれまでの活動に対する一定の評価なんだろうなと。

むしろ「あいつ終わった」とすら言われなくなったら、それこそ存在を忘れられて本当に終わるときなので、いつまでも批判され続けるように存在感を出していかなければなりませんね。

9月2日(日)には、勝部元気さんと初絡みで火力の高そうなイベントに出演しますので、よろしければぜひこちらにも足をお運びくださいませ。

過日に私もブログで取り上げた、ハッピーボード体験の記事もリリースされています。

Voicyも続いているので、よろしくです!

それでは、また明日。


編集部より:この記事は東京都議会議員、音喜多駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年8月24日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。