【追記 2019年1月27日11時】けさの日刊スポーツで「二重国籍の大坂なおみが日本登録で出場する理由とは」が多数のアクセスを集めているようだ。大坂なおみ選手の国籍が全豪オープン優勝を機に再び注目されており、全米オープンを制した直後の昨年9月10日の記事を更新する。今年10月の22歳の誕生日まで、日米どちらの国籍を選択するのか、今後さらに関心を呼びそうだが、筆者としてはこれを機に日本の国籍制度見直しの議論をすべきと改めて提起したい。
テニスの全米オープン女子シングルスの決勝が8日(日本時間9日)にニューヨークで行われ、大坂なおみ選手がセリーナ・ウィリアムズ選手(アメリカ)に6-2、6-4のストレートで圧勝し、初優勝を決めた。日本人選手として4大大会の一角を制するのは男女を通じて初めての歴史的快挙だ。大坂選手は大阪生まれの20歳で、母親は北海道出身。ゆかりのある地域が天災や停電に見舞われた中で、きのう(9日)は早朝から日本各地をこれ以上ないかたちで勇気づけてくれた。
10月の誕生日までの国籍選択が今後注目
大坂選手の活躍ぶりについては、スポーツメディアに任せるが、テニスの報道をたまに見る人であればお気づきのように、彼女は日本語が流暢ではない。その風貌からもわかるように父親は外国人(ハイチ系アメリカ人)。3歳でテニスを始めた時は大阪に住んでいたが、まもなく渡米し、以後はアメリカを拠点にしてプロ選手になった。
国籍制度に敏感なアゴラの読者なら知っている人もいると思うが、大坂選手は日本とアメリカの二重国籍を持つことでも知られている。彼女は1997年10月生まれなので、日本の国籍法では22歳になる2019年の誕生日までは二重国籍であることを暫定的に認められている。
週刊新潮の4月の記事によると、4大大会で躍進した2年前くらいから、その将来性を見込んだ日米のテニス界で「綱引き」が勃発したそうだが、日本側の営業努力、そして日本人の母親の影響が大きいようで、ここまでテニスプレイヤーとしての国籍は、日本を選択している。しかし、引き続き「日本人選手」として出場したいのであれば、法的には、来年10月の誕生日までに日本の国籍を選択し、アメリカ国籍を離脱しなければならない。
東京オリンピックにホスト国の代表として出場する魅力があることなどを理由に、大坂選手は日本国籍を選ぶはずだという希望的観測が取りざたされている。それだけ来年10月までの「決断」に注目が集まる。
一方で、ネットを見ていると、大坂選手に対してその風貌や日本語をあまり話さないことなどから「日本人ではない」「テニスする上で日本代表を選んだほうがメリットが大きいから」などと心無い言い方をする人もいるようだ。
しかし、スポーツの世界、とくに個人競技で国籍を絶対視するような意見は、あきらかに差別的であり、違和感を禁じ得ない。もちろん、アメリカよりも選手層が薄い日本のほうが国際大会の出場機会を得やすいといった側面もあるのだろうが、母親のルーツへのリスペクトが全くなければ、拠点をアメリカに移して久しいのに「日本人選手」になることを選んだりはしないだろう。これからも私は一人の日本人として彼女の世界的な活躍を応援したい。
民間人の多重国籍をどうすべきか
大坂選手の国籍をめぐる問題をみていると、人のグローバル化が進んでいる現代社会において、単一国籍しか認めていない日本の現行制度が揺らぎはじめているように再認識させられる。蓮舫氏の国籍問題のときは、国益・外交上の利益相反を問われかねない政治家のことだったから、厳しく追及したが、民間人については議論の余地があるのは確かだ。
蓮舫氏の問題の時、リベラルの人たちは世界で多重国籍を認める国が多いことなどを理由に蓮舫氏を擁護する人たちが多かったが、八幡和郎さんが指摘するように、テロ対策を進めていく中で、多重国籍については厳しく問われる潮流になっている。
そこまで重大な事由でなくても、多重国籍の人は、納税や兵役といった、それぞれの国での義務に関してリスクを背負う一面もある。実際、今年4月にはトランプ政権が、アメリカとの二重国籍で外国で暮らす人たちの所得課税強化を打ち出し、フランスでは混乱がおきたそうだ。
米国が非居住二重国籍者へ所得税課税強化で混乱(アゴラ:八幡和郎)
その反面、日本国籍を選択したくても他国籍の離脱にハードルがある場合がある。ブラジルは国籍離脱を認めていない。アメリカは国籍離脱を認めているものの、パスポート返却の際に2,350ドル(約26万円)もかかる。これは諸外国と比べてもかなり割高で「罰金」のような制度で、「ぼったくり」といってもよい。経済的余裕のない22歳以上の日米の二重国籍者には、単一国籍を課する日本の国籍制度は辛いものもある。
タブー視せず、国籍制度の社会的議論を
だから多重国籍をめぐるリスクやデメリット、国籍を選ぶ場合の支障などを総合的に勘案して、これからの国籍制度がどうあるべきか、社会的に議論するべきだろう。ところが日本社会では、国籍は在日コリアンの歴史的経緯があるからかタブー視されている部分があり、政治家も票にならないから積極的には取り上げない。マスコミも朝日新聞などの左派メディアが、蓮舫氏の問題の時のように、ありがちな差別論に終わってしまい、建設的な議論が期待できなかった。蓮舫氏の国籍問題を機に動くかと思ったが、結局、同氏が民進党代表を辞任し、その後、党も空中分解したことで世間の関心も薄れ、国籍制度の問題は再び棚上げになっているのが実情だ。
しかし、2008年に最高裁で婚外子の国籍取得をめぐる最高裁訴訟で、当時の国籍法に違憲判決が出たことを機に政界では一時、多重国籍問題の打開を模索する動きがあった。現在外相の河野太郎氏はこの問題に熱心で、ブログでもしばしば改正制度を提案。政権交代前の民主党も2009年の政策集で「重国籍容認へ向け国籍選択制度を見直します」と明言している。
それでも棚上げされ、蓮舫氏の問題が発覚した際に制度改正への機運が生まれたようにも見えたが、結局、彼女の党首辞任後は再び“沈静化”した。前述したように、喉もと過ぎればなんとやらで一向に進展する気配が見えない国籍制度の議論だが、河野太郎氏が首相にでもならない限り、動くことはないのだろうか。来年4月から外国人就労者が拡大することを考えても、中には日本人と結婚する人も出てくるだろうし、この問題を放置したままでいいようには思えない。
大坂選手の国籍選択がクローズアップされる今後、社会的議論が少しでも前に進むように望みたい。