教育勅語に対する私の考え方

明治神宮崇敬会に入っていると教育勅語に触れる機会が多くなる。

大方の方は滅多に教育勅語そのものに接することは少ないだろうが、大勢の参拝者が教育勅語を朗唱するときなど、私は多少気恥ずかしい思いをしている。
何しろ、参拝者の皆さんが一斉に「忠」「孝」の二文字を読み上げられるのだから。

就任会見で教育勅語について「使える分野十分ある」などと述べた柴山昌彦文科相(文科省公式YouTubeチャンネルより:編集部)

今の時代に、教育勅語を神聖視したり、教育勅語に書かれていること自体をそのまま義務教育の徳目にすべし、などと仰る方はおられないだろうが、教育勅語のフアンは今でもそれなりにおられる。

私は、他人が大事にされているものを悪し様に罵ったり、ことさらに侮蔑するようなことはすべきでないと思っているので、教育勅語の信奉者の面前であれこれ言うようなことは一切しないが、しかし教育勅語に示された理念をそのまま教育現場に導入しようとするような動きには反対せざるを得ない。

せいぜいが教育勅語を何らかの参考資料とすることぐらいで、教育勅語をもって道徳教育の拠りどころにすることは出来ない、というのが私の認識である。

さて、こういう私の基本認識を過不足なく他人に示すことが出来るか、ということになると、正直言ってちょっと自信がない。
どういう語り方をしても、どなたかからクレームが付きそうである。

こういう微妙な問題は、軽々しく口にしないことですね、くらいに思っている。

もっとも、文部科学大臣ということになると、ことが道徳教育の根幹に関わる問題なので逃げるわけには行かないのだが・・。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年10月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。