学生は、一般に所得がなく、債務の弁済能力のない人だから、その学生に対して融資することは、金融の原理原則に反する。しかし、学生は、学業を終えた後、職に就くことが予定されているので、今は所得がなくとも、将来所得を弁済原資とした融資は可能である。いわば出世払いである。
仮に、学費と生活資金を融資する学生ローンを設計するとして、学生である期間中は、順次、債務を追加していき、利息の支払いを免除して、学業終了時までに元利合計額を累増させ、職に就いて所得が発生した後に、事前に定めた予定に従い、元利均等で弁済されるとしよう。
ところで、公的な制度である奨学金も同じ構造の出世払いである。ただし、そこでは、同一金利のもと、学業終了時までに累増した債務の元利合計額を、毎月の元利均等の標準弁済額で除して、債務弁済期間を定めるという機械的な方法がとられている。
この学生ローンの場合、各学生が出世できるかどうかは決定的に重要な要素であって、金融の本質からいえば、学生が出世すればするほど、債務者の学生も債権者の銀行等も、より大きな利益を得るように、条件が設計されなくてはならない理屈である。
つまり、債務者の利益は、同時に債権者の利益になり、債務者の損失は、同時に債権者の損失にならなくてはならない。別のいい方をすれば、債権者の利益になる方向へ行動することにつき、債務者の利益誘因を設計しておく必要があるのである。
金融の純理論的な話だから、敢えて、率直ないい方をすれば、高学歴、高成績の学生ほど、卒業後の所得が大きくなる傾向を否定することはできない。あからさまにいえば、世間で一流とみなされている大学を優秀な成績で卒業する学生は、債権者の立場からいえば、好条件で優遇できる債務者だということである。
学業に励み、よりよい成績を修めれば、就職も有利となり、学生ローンの条件もよくなる、このことは、金融の本質にかかわるばかりでなく、教育という産業の本質にもかかわることである。日本では、なにごとであれ、利益誘因を制度設計に織り込むことが上手にできていない。
米国では、ビジネススクールの学費の著しく高いことが知れているが、背景として、難関校を高成績で卒業すれば、就職条件が極めてよくなることがあるのである。それを前提にして、学生ローンがなりたっている。実際、高額な学費は、高額な学生ローンで賄うしかなく、高額な学生ローンは、卒業後の高所得で弁済されるほかない。そうした環境下だからこそ、学生は必死で学業に励むことになるのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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