大学生の頃、故星野英一先生が「民法第三部」の講義の最中、
「…すべき。とよく表現されますが、文法上は、…すべし。が正確です。諸君の先輩に当たる官僚たちまで間違った使い方をしているのは困ります」
と指摘された。
野口悠紀夫先生も、ご著書の中で「さらなる」という表現は文法上誤った表現である旨、何度か指摘されている。
公文書での文法の誤りを憂いておられる点で、両先生には共通点がある。
私たちが米国の公文書を目にした時に、明らかな英文法上の誤りが散見されれば、作成者だけでなく政府機関の知性を疑いたくなるのと同じだ。
そういう意味で、公文書の作成には神経を砕く必要がある。
しかし、公文書を除けば、言葉や文章は変遷し、やがて定着していくものと私は考えている。
「…すべき」という表現が定着したのは、「…すべし」よりも強い響きを持っているからだろう。
「さらなる」も、「より一層の」を使うと文章全体がギクシャクするような時に使うと便利な表現だ。
メールの冒頭で、「お世話になっております」と書かれると、「俺は何もお世話なんてしていない」と怒る人がいると聞いたことがある。
便利なメールの「冒頭挨拶文」程度だと考えられないのだろうか?
時々、「お疲れ様です」と冒頭に書かれることがある。
LINEやメッセンジャーで何度か見かけたが、今のところメールでは見たことはない。
同じ会社の同僚同士や仕事仲間であれば違和感はないだろうが、全くプライベートな連絡で「お疲れ様です」と書かれると、「私は別に疲れていないが…」と思ってしまう。
「お世話になっております」が気にならず「お疲れ様です」が気になるのは、おそらく馴染みが少ないからだろう。
要は、目にしている頻度の違いという程度の問題だ。
「お疲れ様です」も、LINEなどの「冒頭挨拶文」として定着すれば、違和感がなくなる自信(?)がある。
このように、文章は時代に応じて変遷するし、やがては定着していくものだ。
「正しい表現」を追求し出すと、極論すれば、古典文法にまで遡らなければならなくなってしまう(笑)
相手を尊重しているという気持ちが伝われば、細かな点をさほど気にする必要はない。
正しい文章よりも気遣いのある文章の方がよほど大切だ。
以前、「…を拝見しました」と書いたところ、「拝見いただきありがとうございます!」という返信がきた。
私は何だか楽しい気分になり、相手の人物に対して今まで以上の親しみ感じてしまった(^^;)
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年10月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。