前回の米大統領選ではロシアからのフェイクニュースが大きな問題となったが、11月の米中間選挙ではロシアではなく、中国がサイバー攻撃を仕掛けているという。狙いは貿易戦争を仕掛けてきたトランプ大統領の次期大統領選出馬を拒むことだ。
ところで、ロシアと中国両国だけがサイバー攻撃を展開し、フェイクニュースを流しているわけではない。非核化問題で米国の圧力を受けている北朝鮮はサイバー攻撃の専門部隊を育成している。その北朝鮮が非核化問題で新しいやり方を開拓してきた。韓国の文在寅大統領をフェイクニュースの発信先とすることだ。北では“伝書鳩戦略”と密かに呼ばれているという。
文大統領は北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と3度の首脳会談をこなしてきた。それぞれの首脳会談では側近を外させ、2人だけで長時間話した。もちろん、その内容は決して公表されることはない。2人だけの秘密だ。
その文大統領は南北首脳会談後、「金委員長がこう言っていました」といった類のニュースをメディアに積極的に流す。国連総会では参加しない金正恩氏に代わって、金正恩氏の意向を世界に向かって発信した。南北問題に疎い人ならば「文大統領は金正恩氏の報道官か」と間違うかもしれない。
文在寅大統領は12日、BBCのインタビューで「北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は『完全な』非核化を達成するため、すべての核兵器、原料、施設を廃棄する意向だ」と述べた。そして「米国の中間選挙が終わり次第、トランプ米大統領と金委員長の2回目の米朝首脳会談を開催するため、米朝が実務者レベルでの協議を行っている」と説明したのだ。
それだけではない。「米国が相応の措置をとれば、関係国の専門家の監視の下で主要なミサイル関連施設と寧辺の核施設を永久的に廃棄する意思がある」と金委員長が述べたという。文大統領の話を聞いていると、北の非核化は目の前に迫っているような錯覚を覚えるだろう。
もちろん、文大統領は金委員長を誰よりも知っている。公表されていない多くの情報もあるだろう。だから、文大統領はBBCに金正恩氏に代わって直接インタビューに応じ、金正恩氏の意向を伝えただけかもしれない。悪意はなく、金正恩氏の立場を代弁しているだけだろう。ただし、金正恩氏が文大統領に西側メディアに発信する際の全権を譲渡したとは聞かない。
問題は、文大統領が我欲のない無私な伝書鳩ではなく、伝達するメッセージが金正恩氏の意向というより、文大統領自身の思いが反映しているかもしれないし、ひょっとしたら虚言かもしれないことだ。これまでのところ金正恩氏から苦情が出ていないところを見ると、文大統領はまじめに伝書鳩役を務めていると受け取るべきかもしれない。
しかし、問題はある。金正恩氏は核兵器を放棄する意思はない。核兵器製造に関連した施設を破棄するデモンストレーションはできても、肝心の何基の核兵器を保有しているかなどの情報は絶対に公表しない。それでは「金正恩氏が核兵器を全て破棄する意向だ」という文大統領のメッセージは何を意味するのだろうか。 金正恩氏から「そんなことは言っていない」というクレームは聞かないが、米国のポンぺオ国務長官との会談では「金正恩氏は核兵器を全て放棄するとは言わなかった」というのだ。
それでは文大統領の「金正恩氏の意向」はフェイクニュースか、それとも同大統領の単なる希望的観測に過ぎないのだろうか。明らかな点は、米国から文大統領の発言に基づいて、「金正恩氏は核兵器を破棄すると言ったではないか」と追及された場合、金正恩氏は驚いたような表情をみせ、「自分はそんなことは言った覚えはない。文大統領が勝手に解釈しただけだろう」と弁明できることだ。 文大統領は敬虔なカトリック信者らしく南北再統一を自身の政治使命と受け取り、真剣だが、その伝書鳩の使命は非常に危険であり、北側にいいように利用される。それ以上に、国際社会に朝鮮半島の現状を歪めて伝えることになるのだ。
国際社会は今後、非核化に関連する問題は金正恩氏自身が語った内容だけを信じるべきだ。文大統領や康 京和外相の口を通しての「金正恩氏の意向」はフェイクニュースの可能性が高いからだ。南北融和を促進し、対北制裁を早急に解除したい文大統領の「金正恩氏の発言」は非常に色が付いた情報であり、「文大統領の意向」と考えるべきだ。
例えば、文大統領が安倍晋三首相に「拉致問題について日本政府の意向を金正恩氏に伝えた」という発言はやはり疑うべきだろう。なぜならば、文大統領は日本政府の意向を金正恩氏に伝える際、「日本を絶対に信じない方が賢明です」といっているかもしれないのだ。
文大統領は18日、バチカン法王庁を訪問し、フランシスコ法王に謁見する。その際、「金正恩氏の法王招請」を伝達するという。フランシスコ法王は金正恩氏から直接聞いたわけではないが、文大統領が運んでくれた「訪朝招請」を歓迎するだろう。北朝鮮では数多くのキリスト者が弾圧され、収容所に送られているが、フランシスコ法王の心は歴史的なイベント、訪朝に心が飛んで行っているかもしれない。文大統領は伝書鳩の役割を果たし自己満足に浸るだろう。
伝書鳩は昔、相手側にその考えを伝える重要な通信手段だったが、インターネット時代、伝書鳩は案外フェイクニュースを運ぶ最高の手段かもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。