皇后とでんでん虫と平和への願い

読書経験で磨かれた感性

宮内庁サイトより:編集部

皇后さまが20日に84歳の誕生日を迎えられ、来年4月に天皇が退位することを踏まえ、「皇太子が築いていく新しい御代の安泰を祈り続けていきたい」との思いを綴った文書を公表されました。誕生日を迎えるごとにお気持ちを公表するのは、これが最後となります。

文書に「これからは、手つかずになっていた本を、一冊ずつ時間をかけて読めるのではないかと楽しみにしております」という箇所があります。皇后は児童文学に造詣が深い方です。それで思い出したことがあります。

皇后の言葉や行動は気品、教養に満ち、私の記憶にも、そのいくつかが刻みこまれています。私が出版社に出向していた時、作家の犬養道子さん(2017年没)の出版記念パーティーを催しましたら、お親しかった皇后さまが私的にお祝いに駆け付けられました。

子供の本を通じての平和

会場を歩きながら、出席者と気軽にお話をされました。私にも会話を交わす機会があり、記憶に鮮明に残っている話をお伝えしました。「国際児童図書評議会のニューデリー大会(1998年)の基調講演をされ、子供の本を通じての平和−子供時代の読書の思い出、というタイトルのお話が素晴らしかったですね」と、申し上げました。

皇后さまは実にうれしそうな表情を浮かべ、「まあ、読んで下さっていたのですか」と、おっしゃいました。宮内庁ホームページに今も掲載されている基調講演は相当な長文です。皇后は幼い時代に読むか、読んでもらった児童図書を何冊も挙げられました。この中で、最も印象深かったのは、児童文学作家の新見南吉さん(1943年没)の作品「でんでん虫の悲しみ」(1935年)ついて皇后が言及したことです。

でんでん虫(カタツムリ)の会話を皇后さまは紹介しました。

「ある時、でんでん虫は自分の背中の殻に悲しみがいっぱい詰まっていることに気づき、仲間に訴えます。もう生きていけない。自分が背負っている不幸なことの話をします。仲間はいいます。それはあなただけではない。わたしも同じだ」。

でんでん虫の悟り

「別の仲間にも、背負っている不幸を訴えました。同じ返事でした。私も同じだと。でんでん虫は自分だけが悩んでいるのではないと、悟ります。それ以降、わたしはわたしの悲しみをこらえて、いかなければならないと、でんでん虫は思うようになった」。

皇后さまはほかにも多くのことを語り、結語はこうでした。「子供たちが人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生きていく。やがて一人一人がこの地球で平和の道具になっていくために」。この思いは、 誕生日の文書にある「皇太子と皇太子妃が築いていく御代の安泰を祈り続けていきたい」に、つながっていくと思います。御代の安泰は、平和への願いに通じます。

文書には、こうもあります。

「24歳の時、想像すらできなかったこの道に招かれ、大きな不安の中で陛下のお側に上がりました。皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした」。

民間人が皇室に入ったことによる重圧と息苦しい環境の中で、皇后さまは失語症に陥ったこともありました。

でんでん虫が「私は私の悲しみをこらえていかなければと思うようになった」とのくだりは、皇后さまの心境と重なっているに違いありません。世界児童図書評議会における基調講演は、子供への願いを語りながら、そのことを通じて、ご自分自身が置かれている境遇についても語ったようにみえます。

文書の締めくくりの「陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木もご一緒に植えたい」などは、児童書か童話に発展する話です。児童文学の読書体験が皇后さまの生き方を形成してきたのでしょう。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年10月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。