サウジアラビア検察当局は20日、トルコのイスタンブールにあるサウジ総領事館で今月2日に行方不明になった反体制派ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏は死亡したと初めて公式に認めた。
サウジ国営メディアの報道によると、「総領事館を訪れたカショギ氏は館内にいた人物と口論になり、殴り合いに発展して死亡、その事実が隠蔽されようとした」という。関与が疑われる容疑者18人は拘束され、情報機関高官ら政府の責任も認めたという。
サウジ側はこれでカショギ殺人事件の幕を閉じたいところだが、事件はやはり完全には解明されていない。最大の疑問はトルコ当局が保有しているといわれる殺人現場の音声記録だ。殺人現場で録音をしたのは誰か、そこには何が録音されていたか、といった事件の核心を解くことができる音声記録の内容だ。
サウジ側は今回、自国の総領事部内でカショギ氏を口論の末、死亡させたと認めたが、なぜ間接的ながら犯行を自白したのだろうか。サウジ総領事部内の不祥事は本来、サウジ関係者しか知らない。治外法権内の総領事部での殺人をトルコ側に通達せずに処置できるはずだ。事件を闇の中に葬ることも十分可能だったはずだ。
その答えは、トルコ当局が事件直後、総領事部内でカショギ氏が拷問され、殺害された現場の音声記録を所持していると主張し、その内容をメディアにリークしたからだ。
サウジ側がカショギ氏を殺害していなかったならば、トルコ側の主張を「フェイク情報」と一蹴できたが、殺害していたので否定できない。トルコ側が所有しているという音声録音が公表されたならば、大変だ。そこでトルコ側が要請した総領事部内の捜査を受け入れ、妥協の道を探したわけだ。
興味深い点は、スンニ派の盟主サウジ王国に対し、「ムスリム同胞団」を支持し、中東の覇権を模索するトルコのエルドアン大統領がサウジを叩く最高のチャンスを得たが、その後の言動にいつもの勢いが見られないことだ。
考えられる理由は、音声記録を公表すれば、トルコ当局は外国大使館や公館をスパイしていたことを認めることになる。国際社会から批判され、外交問題が生じるかもしれない。サウジを叩くためにそこまで代価を払う必要があるかをトルコ当局は慎重に考えざるを得なくなるわけだ。トルコ側はサウジを叩ける殺人現場の音声記録を保有しながら、その入手先や方法については安易に公表できない理由だ。
一部のメディアによると、ポンペオ米国務長官はトルコ当局から入手して音声記録を聴いたといわれているが、同長官はその直後、否定している。実際、トルコのチャブシオール外相は音声証拠を誰とも共有していないと発言している。
それでは公表できない音声記録をなぜサウジは恐れるのか。「フェイクニュースで音声記録など存在しない」と言い切れば、トルコ側も考えざるを得なくなるはずだ。
すなわち、サウジもトルコも弱みを持っているわけだ。それではどちらの弱みが大きいかだ。もちろん、反体制派ジャーナリストを殺害したサウジ側だが、トルコ側もサウジの犯行を証明する音声記録を公表すれば、トルコ情報機関のネットワークを公表することになり、これまでの全ての情報活動の見直しを避けられなくなる。スパイ活動は一度暴露されると、これまでの全てのネットワークを抹殺せざるを得なくなるからだ。
そこでサウジとトルコ側は妥協し、サウジは犯行を認める一方、トルコ側は犯行現場の音声記録を公表しないという解決策を模索することになる。サウジは国際社会の評判を落とすが、サウジ王朝関係者に犯行の責任が及ばない限り、致し方がない。一方、トルコ側はサウジを叩くという願いは果たせるし、音声記録を公表しないことで外国公館をスパイしていたという批判を受けることは避けられる。ウインウインとまではいえないが、妥協が成立できる余地はあるわけだ。
それでは、犯行現場の音声記録を誰が、どのように録音したかだ。ハイテクが進んでいる今日、スパイ関連機材は考えられないほど進んでいる。アップル・ウォッチだけではない。スパイにはハード面だけではなく、ソフト面もあるからだ。トルコ情報員がサウジ総領事館にいないと誰が断言できるだろうか。
サウジが総領事部内の殺人を認めた最大の理由は音声記録の中にサルマン国王、ムハンマド皇太子の名前が飛び出していたからだろう。音声記録にはカショギ氏の遺体処理のためにサウジから駆け付けた法医学者が総領事部の関係者に「切断している時は音楽を聴けばいい」と語った内容だけならば、“狂人の発言”と片づけられるが、「お前を殺すのは皇太子の命令だ」といった犯行者の言葉が録音されていたとすれば、大変だ。カショギ氏殺害が上からの指令に基づくことを証明することになるからだ。
サウジ側は犠牲を払っても音声記録の公表を避けなければならない。トルコ側はその音声記録を保持しながら、サウジ側を脅迫できる。今回の事件で仲介に出てきた米国はサウジの要請を受け、トルコ側に圧力を行使し、その音声記録の抹消を要求するかもしれないが、トルコ側はその要求を即受け入れるとは考えられない。
ひょっとしたら、ムハンマド皇太子の強権政治に抵抗があったサウジの王朝関係者がトルコ側と交渉して音声記録を入手し、ムハンマド皇太子の退陣を要求するかもしれない。そうなれば、サウジ王朝内で激しい政権争いが勃発するだろう。いずれにしても、サウジの未来はもはやムハンマド皇太子の手にはなく、犯行現場の音声録音が握っているといえるわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。