安田純平さんのこと

常見 陽平

まだ、本人の最新写真は届いていないが・・・。安田純平さんが解放されたとの情報が。よかった。

思わずGoogle Calendarをチェック。2016年6月16日の夜、私は大学時代にお世話になった一條和生先生(当時は一橋大学 大学院 国際企業戦略研究科 研究科長)、中川淳一郎と一緒に、一橋→リクルートの先輩が経営する銀座のバーで飲んでいた。この3人で会うのは久々だった。諸々、母校に関する不祥事や凋落を感じるニュースが続いていた時期であり、中川と私は「憂校」というか「愛校」というか、そんな想いを先生に伝えた。その席でも話題になったのは、安田純平さんのことだった。「OBが拉致されている件はもっと同窓ネットワーク、現役の関係者で語り合うべきではないか」と。

中川の歓喜のツイートから、あの日のことを思い出した。中川、ありがとう。中川によると、彼が倉田真由美パイセンと飲んだときも、安田純平さんのことを想う話をしたそうで。

まだ心配なことはあるけれど、よい知らせだったので、ちょっとだけ思い出話を。安田純平さんと出会ったのは、1993年の春だった。一橋大学世界プロレスリング同盟に入門した私。一つ上の先輩、桜銀造さん(リングネーム 96年商学部卒 現在、野村総合研究所勤務)は、少林寺拳法部と掛け持ちしていた時期があって。その縁だった。当時、少しだけ入っていた音楽鑑賞サークルにも少林寺拳法の方がおり。何かとつながりがあり、学内で見かけたときにたまに挨拶をしたり。

ネット上に投稿された安田さんのSOS:編集部

安田純平さんの顔が目に焼き付いた場面というものがあり。私が2年生になった頃、動員数アップ、部員獲得、学内の活性化のために、いわゆる売名行為をサークルとして繰り返しており。その一つが、少林寺拳法部の襲撃だった。新入生歓迎演武を生協前ステージでやっていた彼ら。そこに、前出の桜銀造先輩と乱入したのだ。こいつらなら、勝てると思っていた。

桜銀造さんはマイクアピールだけして、今度は私がマイクを握りその場を借りて「俺たちは、週2回練習しているぞ、掛け持ちも自由だぞ」など、サークルの宣伝をし。その後、向こう代表とその場で乱闘。ボコボコにされてしまった。安生洋二がヒクソン・グレイシーの道場に押しかける半年以上前に、こんな道場破り的な事件が一橋大学で起きていた。ステージ上で悶絶しているときに目に焼き付いたのが、その場にいた安田純平先輩の顔だった。

その後、2000年代前半に拉致され。釈放されてからは、SNSですれ違ったり。あるイベントを企画しているときに「安田純平さんに登壇をお願いしようか」なんて話をしていたりした。今回の長期間にわたる拘束されていたときもそうだが・・・。不謹慎ながら、あの日の悶絶した状態で見上げた安田さんの顔だった。いや、それくらい「あのときの安田さんが・・・」となるわけで。

今日は、こんな思い出話、バカ話の一つでもさせてくれ。いつか、リアルな場で再会できると信じている。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年10月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。