もはや一線を越えた
10月30日、韓国の大法院(最高裁判所)は元徴用工4人に対する賠償金を支払うよう判決を下した。大法院は新日鉄住金に対し、元徴用工1人当たり、1億ウォン(約1000万円)を支払うよう命じている。支払いに応じなければ、韓国内の資産差し押さえを食らうだろう。
現在、韓国では新日鉄住金だけではなく、三菱重工や横浜ゴムなどの日本企業が元徴用工に訴えられている。その元徴用工ら原告の数は1000人に上る。今後、これらの裁判でも、日本企業が連鎖的に敗訴することが見込まれる。韓国が「戦犯企業」と主張する日本企業は270もある。
日本政府が韓国の無法に対し、今回もまた、「遺憾だ」で済ませるのならば、もはや国民も黙ってはいない。今回の判決はいつもの韓国の嫌がらせとは次元が違う。1965年の日韓基本条約に基づく両国の関係枠組みを根底から覆す暴挙であるからだ。
無法者に経済制裁を
これまで、日本政府は韓国に進出している日本企業などに配慮し、強硬な言動は控えてきた。両国の関係悪化が経済に与える影響を政府としては無視できない。しかし、今や日本企業が実害を被るであろう状況に直面しており、経済界も腹を括って、日本政府に断固たる措置を取るよう求めるべきだ。経済界の後押しさえあれば、政府も格段、動きやすくなる。
韓国が今回の判決を基に、いよいよ日本企業の資産を差し押さえに掛かれば、日本は韓国の無法に対し、経済制裁をとる口実を得る。具体的に、輸出入の部分的または全面的停止等の通商規制、航空機や船舶の乗入れに関する交通規制をはじめ、為替規制、入国規制や在日韓国人の在留資格停止なども視野に入れるべきだ。従来と同じ手ぬるいことではダメだ。もはや、これまでとは次元の違うところに来ていることを認識すべきだ。
経済制裁により、日本経済も少なからず、打撃を受けるだろう。それでも、やるべき時はやらねばならない。日本は北朝鮮に関し、深刻な安全保障上の問題も抱えている。韓国との関係にケジメをつけなければ、日本の国益を大いに損ねる。たとえ経済的損失を被っても、譲ってはならない一線というものが政治や国家にはある。
アメリカ・トランプ政権が中国に対し、関税措置を行使し、事実上の経済戦争を仕掛けている。この経済戦争でアメリカの消費者は安い中国製品を購入できなくなるなどの打撃を被る。アメリカ経済に様々な悪影響が及び、無傷ではいられない。それでも、中国の横暴を許さないという信念で、或いは国防上、必要不可欠なこととして、トランプ政権は敢えて、苦しい戦いに挑んでいる。
日本も同じだ。日本は韓国に対し、このような気概を持って、断固、無法者と戦うべきだ。
ICJ提訴では埒が明かない
それには、国民の幅広い理解・支援が欠かせない。日本企業が韓国への投資を引き上げ、撤退するといったような自主努力も必要だ。そのような自主性を発揮した企業が正当に評価されるなど、損失を少しでもカバーできるような補填的な仕組みも望まれる。ただ、経済制裁に伴う膠着状態になり、本当に苦境に立たされるのは韓国の方である。日本企業はこの程度のことではビクともしない。
日本政府は今回の判決を受け、国際司法裁判所(ICJ)に提訴する方針のようだが、こうした従来のやり方では埒が明かない。韓国が応じなければ、裁判にすることさえできないからだ。国際社会の世論に訴える効果はあるかもしれないが。
韓国は1965年の日韓基本条約の国交正常化交渉が間違った不当な交渉だったと主張している。それならば、韓国は正式に「日韓基本条約を破棄する」と言えばよい。それで、かつての国交正常化は白紙撤回となり、晴れて国交断絶となる。
韓国をツケあがらせた責任
これまで、日本の歴代政権が「韓国は様々な試練・苦境を経て、今がある、少々のことならば寛大に…」ということで、韓国の要求を受け入れ、金銭的・技術的支援を行ってきた。
このような日本の姿勢に、韓国は図に乗り、ことあるごとに、歴史認識問題、教科書記述問題を持ち出し、カネや技術の支援を得る手法を確立させてきた。恩を与えれば与える程、大きな仇となって返ってきた。両国の関係が改善するどころか、ますます悪化したのだ。今日に至るまで、韓国をここまで、ツケあがらせてしまったことに、日本にも責任がある。
直近では、2015年の日韓外相会談によって、日韓合意が結ばれた。これは慰安婦問題の「最終かつ不可逆的な解決」を示したものであるが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2017年の12月、「政府間の公の約束であっても、大統領として、この合意で慰安婦問題が解決できないことを改めて明確にする」と表明した。
16世紀、イタリア・ルネサンス時代の政治思想家ニコロ・マキャベリはこう言っている。
「人を率いていくほどの者ならば、常に考慮しておくべきことの一つは、人の恨みは悪行からだけではなく、善行からも生れるということである。心からの善意で為されたことが、しばしば結果としては悪を生み、それによって人の恨みを買うことが少なくないからである。」