地域の祭りを若者に解放せよ 〜 ハロウィーン騒動に見る処方箋

西村 健

渋谷のハロウィーンが大騒動に。ニュースでも多くが取り上げられ、様々な視点から議論がされた。
長谷部渋谷区長は「結果責任は当然感じる」「来年以降、何かしらの手を積極的に打っていかなければならない」というが、そんなに責任を感じられても….と思う。
有料化と語ったともされる。

【出典】ibamono撮影

アゴラでも新田編集長が「渋谷区はハロウィンから勇気ある撤退を」、松田公太さんが「残念なハロウィン。「日本式」は何かビジョンを持つべき」などの論を展開している。

サッカーワールドカップ時の喧騒、マディソンスクエアガーデンの状況もあり、都会での騒ぎを関係者や関係機関が騒ぎとして感じて、「大騒ぎ」する必要があるのかと思ってしまった。

ただみな仲間と仮装して騒いでいるだけ。
他人同士で絡むこともあるが、一緒に何かをしようという感じでもない。
自由にやらせたらいいのにと個人的には思う。

しかし、警察をはじめ関係の皆様は大変だろうと思われるので、代替策を提案してみた。

荒れる理由

楽しむレベルが興じて、羽目を外す、暴徒化するケースが問題になっている。
メディアが紹介して、皆が参加して、拡大していっただけなのだが。

専門家からは、

・匿名性が大胆にさせる
・ストレス発散の機会

などと指摘がされている。複合的な理由なのだろうが、大体そんなところだろう。

個人的に羽目を外すことは好きではないのでしないが、普段の生活でうっぷんがたまっている人が特に若い人に多いことの証左だろうと思っている。

特に、現代では若い人たちが羽目を外す機会がないことは気にかけていた。

昔だったら、お祭りで騒ぐ、
ちょっと前だったら、歓楽街でお酒を飲む、
ロスジェネ世代では、クラブでおどる、オタクイベントに行く
ちょっと下だと、ストリートにたむろう、
もっと下だと、フェスにいく

こういう機会が、今の若者には減っている。
ネットでは自由に泳げるが、リアルな生活では少子高齢化社会の年上層が闊歩する中、空気を読んでいきている。

【出典】ibamono撮影

地元のお祭りの敷居の高さ

都会や地元に「濃密な」人間関係を持たない若者にとって、お祭りは羽目を外す楽しい機会どころか、面倒なこと、人によっては苦痛でしかない。

特に、地元のお祭りでは、こんなことがあったりする。

・準備段階で年上の指示を受ける
・参加したらしたで、一緒にいた異性について色々いわれる
・参加しないと「郷土愛ないよね~」と皮肉をいいたでな視線をなげかけられる

などなど。なので、関与の度合い、距離の取り方はなかなか難しい。

こうなると若者は我慢をしなくてはいけない。そもそも、地域のお祭りはその意味でとっても敷居が高い。
フリーライドできるお祭り、若者も自由に参加でき、気楽に参加でき、開放感を感じられるものは…..ない。

若者が主体であっても、地域のスクールカーストの上位層、いわゆる「勝ち組」や「マイルドヤンキー」が仕切っていて、入りづらいし、いきづらい。

他方、ハロウィンのような面倒な人間関係がない、匿名性の高いイベントにいきたくなるのは仕方ないことだろう。普段の生活で、コスプレをすると、周囲の冷たい目線にさらされる。だから、ハロウィンはふだんの自分を解放できる、気持ちよくなれる「チャンス」なのだ。

渋谷区や東京都では地域のイベント(商店街など主催)に補助金をたくさん助成しているが、たいてい若者向けではない。内部留保をためこんだ商店街であっても補助金が助成されている。

若者にリーダーシップをとって自由にさせているイベントのみ助成するという自治体があってもいいのではないか、と個人的には思っている。結果として、地域のまちづくりを担う世代も新陳代謝するし、一挙両得だと思うのだが。

【出典】ibamono撮影

若者に配慮して、機会を与えてあげようよ

ハロウィンのもともとの意味は、コミュニティの連帯を確認するものらしい。しかし、今では商業的なものに変質していて、単なる「盛りあがり至上主義」が発露される場でしかない。

なぜハロウィーンなのかと筆者は醒めてみているのだが、若者にもそういった機会を与えてあげることを考えてあげて欲しい。羽目を外すことを許容しない社会ほど息苦しいことはない。ハロウィンではなくても、少しばかりは羽目を外す場を公的に用意してあげる、もしくは、用意しなくてもそういうことをやろうという若者にチャンスを与えられないだろうか。