東京都中野区において、中野サンプラザ、旧中野刑務所正門などの解体、桜を代表とする既存樹木の伐採は住民の関心事であり、ときに政争の具になる。地震、台風が常襲する日本国において、形あるものを維持し続けることは非常に困難であり、放置することは行政の不作為といえ、このような課題はすべての自治体で常に存在する。
災害大国という環境は技術革新のモチベーションを高め、耐久性があるものを作り出せる技術力は高まったが、耐用年数の概念はなくならない。一説には、伊勢神宮の20年に一度行われる式年遷宮も耐用年数の考えがあるという。あらゆるものは諸行無常なのである。ランドマーク、公共施設・物の解体、立て直しの議論は今後も永遠と繰り返されるものとして、管理・運営をしていかなければならない。
解体・立て直しによる危険性の排除は致し方ないが、それらを保存・維持を求める方々のノスタルジーに対しての配慮が足りないことが多い。
昔、歌舞伎町の東宝シネマ(旧コマ劇場)の西側にある新宿シネマシティ広場に噴水があり、名前も噴水広場であった。飲み屋が多い土地柄で、酔っぱらいがトイレ代わりに利用することが多く、噴水の池からは悪臭を発していた。
特に大学対抗のスポーツイベントがある度に、大学生が飛び込み、悪臭を振り撒きながら、周辺の店に入ったり、電車に乗ったり、と迷惑をかけていた様子は一昔前の道頓堀と同じであった。そういった経緯から、多くの反対もあったが、この思い出、ノスタルジーの塊の噴水は1986年(昭和61年)に取り壊された。
現代において、噴水の話を私の周りの方々に聞いても、「噴水なんかあったけ?」「まだ噴水あるでしょ?」という反応で、当時、一部に猛烈な反対があったとしても、記憶は曖昧となっていく。大多数の方々にとってノスタルジーとはそのようなものだと考える。
時間が経てば、思い出も風化してしまうものである。しかし、ノスタルジーの思いが宿るものに対して、簡単に排除しますということでは、その反対の感情が出てくるのは当たり前である。
ではノスタルジー物件をどのようにすべきなのか。
例えば、世界最古の木造建築である法隆寺の拝観料が他の寺院よりも高額で2015年から1500円となっている。修学旅行生の減少がその主因としているが、ノスタルジー物件を維持するには、非常に費用がかかることを物語っている。公共施設・物に限って言えば、多額の税金を使って、あらゆる物件を残し続けることは現実的ではない。
大多数のノスタルジーをどのように押さえ込むかがポイントであると考える。
私は中野で生まれ育ち、街並みの変化を見てきた。母校であった中野区立仲町小学校、中野第九中学校はすでに学校再編成に伴い、なくなった。卒業後、普段全く通うこともなく、気にもしなかったが、母校がなくなるのは絶対に嫌だとノスタルジーを感じていたが、時代の流れから致し方ないとも思っていた。
小学校では1988年(昭和63年)に開校50周年記念でタイムカプセルを保存し、50年後の100周年記念でタイムカプセルを開ける予定だったが、学校がなくなるということで21年後にカプセルを開けるイベントが行われた。カプセルに保存されていたのは「50年後の私へ」というタイトルの文章だった。当時の担任の先生方と語らいながら、その文章を読み、我ながら成長したなと感動を覚えつつ、閉校に対する悲しい気持ちもあったが、その悲しみをみんなで感じ合い、ノスタルジーは成仏したように感じた。
中学校においては卒業生有志コアメンバー30人くらいが集まり、私も副委員長として参画した大同窓会実行委員会を発足し、半年間の準備期間を経て、イベントを開催し、500人の参加者で大盛況となった。終わりの時期を知り、しっかりとお別れができればノスタルジーを抑え、気持ちも成仏するものと考えている。
これを「ノスタルジーの成仏」と定義、そして提唱させていただいている。
中長期的な維持管理を樹木に限っていえば、基本となるのは樹木の種類、樹齢、樹高、簡易的および詳細な樹木診断などの経年変化などをチェックすることで、計画的に伐採、植え替えができる。中野区ではこれまでにそのような樹木の管理がなされてこなかったため、私は樹木管理台帳を作るべきということを提案し、現在、台帳は作成中である。
そのような管理・維持管理計画を立てなければ、同時期に植えた桜の木を大量に植え替え、寂しい桜並木になることもありえる。
今後は計画性をもち、ノスタルジーの成仏をさせながら、まちづくりを推進する手法も研究していく必要がある。