徴用工問題については、朝日新聞などですら率直に韓国への抗議をしているのに、論理回路での議論が苦手な向きからは、なんとか韓国に味方したいという人が跡を絶たない。
まずは、作曲家の三枝成彰さんである。音楽家としてもプロデューサーとして有能なことはいうまでもないし、役所の仕事でお世話になったこともある。
しかし、歴史や国際法など語られるのはおやめになったほうがよい。「日刊ゲンダイ」のインタビューはあまりにもお粗末で、短い記事なのにほとんど勘違いの塊。まあ、鳩山由紀夫元首相をミュージカルに出演させているのが自慢のようだから仕方ないが。
「首相の安倍さんに至っては提訴した元徴用工を『朝鮮半島出身の労働者』と表現、仕事を求めて進んでやってきた人たちだと切り捨てた。思いやりも気遣いもない態度だね」
と仰るが、安倍首相が徴用工でなく労働者だといったのは、原告たちが働きに来たときは徴用工制度が始まっていなかったからであって、その後に徴用工制度がされたことを否定しているわけでない。
また、徴用工に対する賠償の必要性を日本政府は否定しているのでなく、日韓の条約で韓国政府にまとめて払ったので企業は払う必要がないということを無視している。さらには
「今年は維新150年というが、会津の人たちは今も長州を恨んでいる。会津戦争のあとで新政府が埋葬禁止令を出し、多くの遺体が野ざらしにされたことが原因だ。現地でタクシーに乗ると、いまだに運転手の人は『3年も放置された。長州人は許せない』と言うからね」
と述べているが、死体のざらしというのは、まったく虚構であることが立証されているうえに、あったとしても責任者は福井藩であって長州藩とは無関係のいいがかりである。
もっとも、会津の歴史捏造は韓国のそれと共通項がある。そもそも、苛政に苦しんでいた会津の民衆は官軍に協力したくらいである。松平容保が東京に送られるときにも農民たちは籠を振り返ろうともしなかったと幕府方の記録にもある。ひどい悪政のあげく敗れて特権を奪われた会津武士の怨みは両班の怨みに似ている。
そのあたりは、「会津の悲劇」に異議あり「日本一のサムライたちはなぜ自滅したのか」 (晋遊舎新書)に詳細にわたって論破しているが、会津観光史観といわれることもある会津被害者論は韓国並みにひどい嘘の総合商社だ。
会津は明治維新後、土佐の谷干城や薩摩の大久保派と組んだ。そして、長州や土佐の板垣退助の系統、佐賀などを目の敵にした。福島事件は薩摩の三島通庸に会津帝政党が協力して、三春藩出身で板垣の自由党の幹部だった河野広中の子分達を襲った事件だ。
佐賀の乱は江藤新平たちが西郷と連携するのを怖れて大久保の命を受けたあの岩村精一郎と谷干城の手先として会津藩家老の山川浩が挑発して起こした。西南の役でも会津藩士が官軍で大活躍し、山川の妹は薩摩の大山巌と結婚した。
長州は8月18日の政変で会津に宮中から追われ、禁門の変、池田屋事件でも残酷に処断された。しかも、会津戦争にはあまりかかわっていない。長州が会津を恨む理由は山ほどあるが、逆はほとんど理解できない。会津の関係者になんで長州がそんなに憎いのか聞いても満足のいく回答をいただいたことがない。
原敬が暗殺されたのも彼が山県有朋らと宮中某重大事件や皇太子(昭和天皇)洋行事件で協力関係にあったことで会津関係者の怨みを買ったためという強い疑いもある。
岡田克也氏もひどい。ブログで
「三権分立の中で、司法の最終判断を政府が批判することすら一定の節度が求められるなか、外国の司法判断に対する行政府の長の発言としては適切とは思えません」
「日本の最高裁の判決に対して、外国政府首脳が「あり得ない」とか「暴挙だ」と発言した場合のことを考えれば明らかです。司法判断に対する行政の介入、しかも外国政府の介入はあってはならないことです」
と述べた。
しかし、三権分立は国内の問題であって、司法の判断を立法や行政は尊重しなければならないが、批判はしてもよいに決まっている。しかも、節度はあるとしても、それは、司法の権威を貶めるようなものなら問題になるが、批判するのは問題ない。
そして、外国の政府は、海外の立法、行政、司法のいずれも批判することになんの問題ない。だいたい、自国の政府が司法に介入することは可能だし問題だが、外国政府が他国の司法に介入するなど論理的にありえない。
蓮舫の二重国籍問題のときも、傷口が拡大したのは、多分に岡田民主党代表が非論理的に人権問題に結びつけたからだ。
東京大学法学部を卒業して国家公務員試験を通ったのに、なんでここまでリーガルマインドが欠如しているか不思議である。