「神父」も「牧師」もいない寂しい教会

新約聖書「ルカによる福音書」10章には「収穫は多いが、働き人が少ない」と嘆くイエスの聖句があるが、ドイツのローマ・カトリック教会(旧教)ばかりか、プロテスタント教会(新教)でも(収穫は別として)深刻な働き人(聖職者)不足に悩まされている。この傾向が続くと、新旧教会の存続が危ぶまれるという声すら囁かれている。すなわち、ドイツの新旧キリスト教会で「神父」も「牧師」もいない“寂しい教会”がこれから多く出現するというのだ。

ドイツのケルン大聖堂(ユネスコ「世界遺産センター」の公式サイトから)

独週刊誌フォークス最新号によると、ドイツの新旧教会は神父や牧師不足で信者たちへの牧会ばかりか、礼拝すらままならなくなってきたという。フォークスは「ドラマティックな不足」と表現している。

カトリック教会中央委員会(Zdk)によると、西暦2030年までに約1万3500の教区中、約7000の教区で神父がいない状況になるという。Zdkのトーマス・シュテルベルク会長は「教会の現行体制は維持できなくなる。カタストロフィだ。平信徒たちは将来、これまで以上に責任を引き受けなければならなくなる」と言うのだ。

一方、独プロテスタント教会(EKD)でも状況は同じだ。新教では現在、約2万1000人の牧師がいるが、30年にはその3分の1がいなくなり、7000区は牧師がいない状況になるというのだ。

ドイツで聖職者不足が劇的に進行している背景には、聖職という職業の魅力がなくなってきたからだろう。聖職者の未成年者への性的虐待が多発する教会を将来の職場に選ぶ若者がいなくなったとしても不思議ではない。もちろん、教会側からいわせれば、聖職はあくまでも“召命”されて従事する職業だというわけだが、その聖職の社会的評価が急落しているのが現実だ。

独カトリック教会は9月、350頁を超える聖職者の性犯罪に関する調査報告書を発表したが、1946年から2014年の68年間で3677人の未成年者が聖職者によって性的虐待を受け、少なくとも1670人の神父、修道院関係者が性犯罪に関与したというショッキングな結果が明らかになった。

独教会で性犯罪を犯す聖職者数(聖職者による性犯罪発生率)は全体の4・4%。ただし、教区神父では1429人が性犯罪を犯し、全体の5・1%を占める。そのような職場にたとえ召命されたとしても心が動かないだろう(「独教会『聖職者の性犯罪』をもみ消し」2018年9月14日参考)。

同じことが新教会でもいえる。クリスティネ・ベルグマン元家庭相によると、新教でも聖職者による性犯罪が過去、同じように隠蔽されてきたという。これまで「新教の聖職者には独身制がないので、性犯罪の件数も少ない」といわれてきたが、元家庭相によると、「新教の聖職者も権威主義的で、聖職者の性犯罪の犠牲者の訴えに耳をかさない一方、性犯罪を犯した聖職者を人事するなどして犯罪を隠蔽してきた。まったくカトリック教会と同じだ」と証言している。

EKDのハインリッヒ・ベッドフォード・シュトローム会長は聖職者の性犯罪の犠牲者に対し許しを求め、「われわれは可能な限りのことをし、過ちから学ばなければならない」と述べている。

ドイツにはキリスト教を政治信条に掲げる政党が2党ある。メルケル首相が率いる「キリスト教民主同盟」(CDU)とゼーホーファー党首の「キリスト教社会同盟」(CSU)だ。その両党とも国民の支持を失ってきた。昨年9月の連邦議会選ではCDU・CSUは10%以上の得票率を失い、今年10月のバイエルン州議会選でCSUは2桁の得票率を失った。これは政党や指導者の政治的失策だけではなく、党の政治信条のキリスト教が国民、有権者の心を捉えられなくなったことを実証している。

伝統的なキリスト教信者は、同性婚問題一つをとってもはっきりと信仰を土台として拒否できないCDU・CSUの指導者に失望している。例えば、メルケル首相は同性婚に対して党員の判断に委ねるだけで、党として反対することを回避した。それに反して、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)は同性婚に対し明確に反対を表明してきた唯一の政党だ。

神父も牧師もいない寂しい教会に足を踏み入れた国民はそこで何を感じるだろうか。羊飼いばかりか、羊たちもいなくなれば、教会は神なき社会を物語る博物館に過ぎなくなるだろう(「無神論者が憂慮する“神なき社会”」2017年2月7日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年11月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。