日本統一を戦後史観よりも遅くみる「日本国紀」

八幡 和郎

『日本国紀』が万世一系を応神天皇も継体天皇も新王朝の可能性が高いとしてほとんど確定的に否定してしまったことはすでに『百田尚樹「万世一系否定論」のここが間違い』でその推論の誤りを指摘した。

ただし、そのことは、「日本国紀」が、いわゆる大和朝廷が統一国家創立以来、それなりの連続性をもっていることを否定しているとは言い切れない。あくまでも、少なくとも二度にわたって皇統は交替していると百田氏が推論していると言うだけのことである。

そして、日本書紀が編纂された7世紀末から8世紀初にかけての時期にあって、万世一系という伝説が生まれていたので、それに合わせて粉飾したのではないかというようなニュアンスが語られている。

その万世一系論はともかくとして、日本国家の始まりについて『日本国紀』はいかなる認識を示しているのか分析してみよう。

日本列島に人が住み始めた経緯や縄文時代、弥生時代についての記述は戦後学会の通説的な見解とそれほど差はなく平均的だ。

ただ、朝鮮半島と陸続きだったというのは、このごろ、あまり支持はなく浅い海だったという人が多いと思う。旧石器時代についてはほとんど記述はない。

日本人の祖先の多数派が縄文人か弥生人かについては、曖昧で踏み込んでいない。保守派には純血主義が好きで縄文人だと言い切る人が多いが、そういう偏屈な意見に傾かなかったのは良いことだ。私は日本人の主流は弥生人という考え方だが、日本語を生み出したのは縄文人だとか、縄文文化の影響が弥生人たちにも引き継がれたことについては異議はないし、そこは正しいと思う。

弥生人や稲作については、私は江南地方の住人が朝鮮半島沿岸をつたってやって来たのが主流という説だ。朝鮮半島、とくに北部は寒冷で稲作に向かず、半島はほとんど素通りで日本列島のほうで先に稲作は普及したと見るべきだという考え方だが、百田氏は半島経由という説のように読める。どうしてそういう判断をされたか聞きたいところだ。

卑弥呼の死とか天岩戸伝説が日蝕に触発されたものということが強調されているが、可能性の指摘としてはありうることだが、あくまでもそこにとどまるべきだ。ただ、そこからアマテラスと卑弥呼が同一人物とかいう無理な推論をしていないのはいいことだ。

倭国という言い方の起源とか、その意味を嫌って大和になっていったというのは事実だろうが、私は大和朝廷の自称は「ワ」ではなく「ヤマト」であり、それに当て字として倭をあてていただけというのが私の理解である。

ちなみに、それは天皇についてもそうで、日本の王者は「スメラギ」などであって唐の皇帝に一時期において使用された天皇を当て字にしただけで、「テンノウ」というものは古代日本に口語としては存在していなかったと私は思う。

八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画、Wikipediaより:編集部)

大和朝廷において邪馬台国の記憶がまったくないことを理由に邪馬台国九州説をとっているのは正しい判断だ。ただ、神武天皇が大軍を率いて東征したというのは、中世になって一般化した伝説であって、記紀をよく読めば神武天皇が日向の支配階級だったとも大軍を率いて日向を出たとも書いていないというのが私の説だが、百田氏は古典的な神武東征論をとり、そこから、神武天皇を魏志倭人伝にある狗奴国の子孫で、邪馬台国を滅ぼし東征したのでないかとしている。

しかし、大和朝廷が北九州に進出し支配下においたのは、仲哀天皇と神功皇后のときであるという記紀の記述を否定するものだ。

朝鮮半島への進出については、百田氏は神功皇太后による「三韓征伐」まで含めて九州王朝による可能性が高いとしているが、そうなると、応神天皇の時代には日本は統一されていなかったと言うことになるのだろうか。そのあたりはよく分からない。

まして、神武天皇が狗奴国の系統で、邪馬台国を滅ぼしたという百田氏の立場からは、ますます矛盾に満ちたものになり、いったい、日本統一国家の成立をいつごろと考えているのかよく分からない。戦後史観でも四世紀というのが普通だが、さらに遅く考えているのだろうか。

私は日本書紀の記述は各天皇の寿命を自然な長さに調整すればすべて正しいのであって、崇神天皇を3世紀の卑弥呼より一世代あと、神功・応神は4世紀半ばのひとで、そのころ、大和朝廷が北九州を傘下に収めて大陸に進出したということで辻褄が合うという考え方だ。

半島への進出は、それ以前に、北九州諸国が試みていたものを四世紀なかばから大和朝廷が引き継いだ、あるいは、大陸への進出を後押ししてもらうために大和朝廷の傘下に入ったとみるべきだと思う。

そのあたり、百田氏が日本統一の時期をどう考えているのか、ますます、曖昧だ。

そして、朝鮮半島諸国や中国との関係についても、記紀の内容とだいぶ違う理解のようだが、それについては、次回に回したい。

百田 尚樹
幻冬舎
2018-11-12