過ぎ行く1年を振り返るには少々早すぎるかもしれないが、今年1年で世界で最も大きな変化がみられた地域は朝鮮半島とアラブ・イスラム諸国ではないだろうか。
オバマ前米大統領は北朝鮮に対して「戦略的忍耐」と呼ばれる無策路線をとってきたが、前大統領はアラブ諸国に対しても任期8年の間、程度の差こそあれ現状維持を優先してきた。それが動き出したのは政治にはアマチュアと就任前に中傷されたトランプ米大統領が登場してからだ。
対北政策では今年6月12日、シンガポールで史上初の米朝首脳会談が行われた。成果は今後の進展を見守らなくては何もいえないが、オバマ政権時代には考えられなかった首脳会談が実現したという事実は大きい。一方、中東アラブに対してはトランプ大統領は5月14日、徹底したイスラエル支持路線を展開し、米大使館のテルアビブから首都エルサレムへの移転を果敢にも実行した。オバマ前政権時代はアラブとイスラエルとの等距離外交を意識するあまり、これまた一種の「戦略的沈黙」を継続してきた感があった。
以下、ここではアラブ・イスラム教国とイスラエルの関係正常化を追ってみた。
米大使館をエルサレムに移転するといった発想はオバマ前大統領には考えられなかったことだ。そんなことをすれば、直ぐに中東戦争が再現するのではないか、といった悪夢がオバマ氏からは離れなかったのだろう。トランプ氏は大統領選の公約を着実に実行に移し、イランの核合意も破棄し、米国がどの方向に顔を向けているかを世界に示した。
アラブ・イスラム諸国の政情は大きく動いてきた。明確な点はイスラエルとアラブ・イスラム教国との関係が正常化の方向にあることだ。イスラエルは過去、エジプトとヨルダンなどに限られたアラブ国家としか外交関係はなかったが、“アラブの盟主”サウジがイスラエルに接近してきた。そのほか、オマーン、アラブ首長国連邦らが続いてきている。
サウジの対イスラエル政策が急変した背景にはシーア派の大国イランとの対立がある。シリアやイラク、そしてイエメンでのイランの軍事活動を警戒するサウジは、イランと対立しているイスラエルに接近することで、イラン包囲網を構築する選択肢を取ってきた。もちろん、サウジのイスラエル接近の背後にはトランプ大統領の存在がある。米国の支持を受けるイスラエルと関係を強化することで、サウジは対イラン政策を効果的に実施できるようになったわけだ。サウジのムハンマド皇太子は今春、イスラエルの生存権を認める発言をしている。一方、イスラエルはサウジ王室を揺り動かしている「カショギ氏暗殺事件」に対して、サウジ批判を控えている、といった具合だ。
イスラエルとアラブ・イスラム教諸国との接触はパレスチナ和平に変化をもたらしてきている。アラブ諸国にとって、パレスチナ問題は汎アラブの最優先課題と受け取られ、アラブ諸国はパレスチナを資金的にも支援してきたが、ここにきてその関係に変化が出てきた。パレスチナ問題はアラブの緊急課題ではなくなり、それに代わってイラン問題とイスラム過激テロ問題が浮上してきたのだ。
少し、具体的な動きをフォローする。チャドのイドリス・デビ大統領が先週、同国大統領としては初めてエルサレムを訪問した。イスラム教徒が多数を占めるチャドのデビ大統領のイスラエル訪問は、他のアフリカ諸国指導者がイスラエルを訪問する道を開くと受け取られている。デビ大統領は、「パレスチナ問題を無視する考えはないが、問題の解決まで待つことはできない」と述べ、イスラエルとの外交樹立を示唆している。ネタニヤフ首相は25日、「外交的突破であり、歴史的訪問だ」と評価したほどだ。また、オマーンのユースフ・ビン・アラウィ外相は、「イスラエルの存在は現実だ。それを受け入れて考えるべきだ」と他のアラブ諸国に訴えている。
一方、ネタニヤフ首相は10月、オマーンを訪問し、同時期、イスラエルのミリ・レジェヴ文化相はアラブ首長国連邦を、アイユーブ・カラ通信相はドバイをそれぞれ訪問している。ネタニヤフ首相は、「今後、アラブ諸国との関係が発展する」と期待を表明するほどだ。なお、エルサレムからの情報によると、同首相の次の訪問先はバーレーンだ。
サウジのムハンマド皇太子と「カショギ氏暗殺事件」、イラン「核合意」の行方、パレスチナ人の抵抗、アラブの盟主を狙うトルコのエルドアン大統領の動きなど、多くの流動的な問題が山積しているだけに、中東の近未来を確実に予測することは難しい。この1年に見られた中東の変動が恒常的な和平実現を導く土台となるのか、それとも一層のカオスを生み出す兆候か、その行方を左右するのはやはりトランプ米政権と言わざるを得ない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年11月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。