「新しい争点」のリスク
標題について、結論から言う。一つは負けるリスクはないが、一つは負けるリスクがある。そういう意味では、日本は徴用工問題に関し、これが国際司法の場に持ち込まれれば、安穏としてはいられない。
このことを理解して頂くため、今から、少々難しい法的な話をするが、わかりやすく端的に解説するので、是非とも、お付き合い頂きたい。
11月29日、韓国の大法院(最高裁判所)は日本の三菱重工業に対し、第二次世界大戦中のいわゆる元徴用工や女子勤労挺身隊員に賠償金を支払うよう命じた。去る10月30日に、やはり大法院が新日鉄住金に対しても、いわゆる元徴用工(実際には募集工)に賠償金を支払うよう命じた。
2つの裁判の判決文では、ともに、日本の不法な植民地支配下でなされた強制動員への「慰謝料」として賠償権を認め、この「慰謝料」は未払賃金や補償金などの民事的な請求とは異なると位置付けている。つまり、大法院は1965年の請求権協定の取り決めがあるため、通常の請求権補償を巡る争いでは負けるとわかっているので、日本の「不法な植民地支配」によって傷つけられた人権・人道問題への補償という新しい争点設定を持ち出してきている。
橋下氏が言う2点の「リスク」
日本は国際司法裁判所(ICJ)に提訴も辞さないという方針である。日本が原告としてICJに提訴すれば、1965年の請求権協定の法的有効性が係争事項となるため、その土俵において、日本が負けるリスクはない。
しかし、負けるリスクがあるという論者もいる。橋下徹氏だ。橋下氏はプレジデント・オンライン記事『橋下徹、”徴用工問題、日本が負けるリスク”』(2018.11.14) で以下のように、その理由を主に2点述べている。
①1965年当時の韓国政府には、決して強固な民主的正統性があったわけではなかった。
②そのような政府の行為によって国民の財産や請求権を一方的に消滅させることができるのか?
申し訳ないが、この2つの理由は日本が負けるリスクにはならない。①の理屈に基づけば、中国のような、民主主義によって選ばれた政府を持たない国との協定や法的な取り決めは、その有効性が担保されないということになってしまう。②に書かれている請求権自体は1965年の請求権協定によっても消滅しない。これは日本政府も認めている。1991年の参議院予算委員会の政府答弁によると、請求権協定後も、個人の請求権自体は法理的に存置されている。
しかし、同権を実際に発動させて、請求を求めることはできない。なぜならば、協定により、同権に対する国家の外交保護権(国家が他国民に対し、何らかの権利保護を行うこと)が失われているからである。政府答弁で「日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができない」と言っている。つまり、この政府答弁は日本が法的に請求権に応じる必要はまったくないということを念押ししているものだ。
この請求権の非消滅ということから、橋下氏の言うような「負けるリスク」を演繹することは論理的にできないのである。
狡猾な「人道犯罪」すり替え
私は冒頭に、一つは負けるリスクはないが、一つは負けるリスクがある、と述べた。私の言う「負けるリスク」とは橋下氏の言っているものとは別のものである。請求権協定の有効性という枠組みの中で戦うならば、日本が負けることなどあり得ない。もし、負ければ国際法が根幹から揺らぐことになる。
しかし、このような枠組みとは別に、韓国が徴用工問題を人権や人道犯罪の係争にすり替えて、訴えはじめた時に、日本が「負けるリスク」はある。
人道犯罪に時効はない。1968年の第23回国際連合総会で、「戦争犯罪及び人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約(Convention on the Non-Applicability of Statutory Limitations to War Crimes and Crimes against Humanity)」が採択されている。韓国がこういうものを振りかざして、「不法な植民地支配」を人道犯罪と結び付けて訴えれば、左翼勢力が蠢く国連委員会などがどう転ぶか、わかったものではない。
韓国はここを狙っている。だからこそ、大法院が判決文で、繰り返し、日本の「不法な植民地支配」によって傷つけられた人権ということを強調しているのである。この部分については拙稿プレジデント・オンライン記事『宇山卓栄、”日韓併合は違法”とする徴用工判決の奇怪』(2018.12.1) を御参照頂きたい。韓国の狙いに対して、日本政府には、充分な備えがあるのかと問いたい。
強制性はあったのかなかったのか?
橋下氏は上記記事の中で、以下のように注目に値することを言っている。
(記事引用)
慰安婦については、国際社会が指摘するような形で日本の政府や軍が組織的な人身売買行為を行った事実は存在しないが、労働の分野においては、韓国側が主張している規模ではないにしろ強制労働の事実は存在する。
橋下氏が指摘する通り、ここが日本側にとって、頭の痛いところだ。こういうことをハッキリ言うのは勇気のいることであり、橋下氏の姿勢には敬意を表する。
10月30日に判決を下された裁判の原告は徴用工ではなく、募集工である。しかし、それ以外のケースで、強制性が絶対になかったとは言い切れないことが厄介なのだ。
朝鮮現代史専門家の外村大・東京大学教授などは徴用工について、実証的に、強制性をうかがわせる記録(行政や軍の記録)についての論証をしている。残念ながらと言うべきか、この外村教授の膨大な研究成果をデタラメと切り捨てられない。非国民だ、国賊だと言って罵るのは簡単だが、今のところ、日本には、外村教授に対し、有効な反証ができている研究者はいない。
1944年の戦争末期において、日本人も韓国人も同じように、戦時強制動員された。両者同じ扱いだから問題ない、とはいかない。強制性があったということに、変わりはないからだ。
橋下氏はこうしたことを踏まえ、「強制性があった」としている。その上で、「日本の悪い癖は法的な論戦で十分な備えをしないこと」と言っている。その通りだ。今回のような徴用工判決が出ることはずっと前から想定されていたことだった。日本政府に充分なシミュレーションがあったようには思えない。
今後、韓国の狡猾な「人道犯罪」すり替え作戦に対して、緊急に、そしてもっと危機感を持って、日本政府は備えをしなければならないのではないか。