池田信夫的政策が停滞した10年 --- 三沢 一樹

寄稿

夢で池田信夫氏とばったり会った。昨晩、池田氏が出演する動画を見ていたせいだろう。随分老けられたものだと思った。

私は池田氏にこう語りかけた。

「あなたのブログによって私は随分いろんな事を教えられ、蒙を啓かれました。あなたや池尾和人氏や城繁幸氏らが活発に論考を発表していた頃が懐かしいです。しかしあなた達が議論の場から遠ざかったせいで、奇妙な理論がはびこるようになったとも思います」

それを聞いた池田氏は苦笑いをするのみだった。

実際、池田氏や池尾和人氏、藤沢数希氏、城繁幸氏らがどんどんブログを発表していた約10年前の頃と比べて、政策に関する議論のレベルは上がっていない。いや、国防・安全保障・外交に関しては、彼らの想像を超えて日本の政治も、一般人の意識も変わったように思う(憲法改正が発議さえされなさそうなのは残念であるが)。

しかし、国防等以外の経済・財政政策に関していえば、停滞していたのがこの10年だったように思う。超法規的に停めた原発を動かすことに、政治家は及び腰になっている。「原子力発電はいいんだ!」と断言できる政治家はいない。しかし諸データは原発が他の発電よりもずっと素晴らしいことを示している。

財政再建のために努力をすることも忌避されるようになってしまった。小黒一正氏のようなきちんとデータを積み上げて、考証するタイプの学者が売国奴などと罵られる始末で、増税は財務省の陰謀であるというような言説がはびこった。財政再建のための努力を放棄すると、ある時から非線形的に経済環境(金利、物価、為替)が変化し、コントロール不可能な大打撃を国民が受けることになるのだろうが、日本にはたくさんの資産があるから大丈夫だなどという主張がまかり通っている。それらの資産の大部分は売れないし、債務額をまかなえるほどではないし、問題は毎年発生する赤字なのだ。

今は、金利を人為的に低く抑えているが、これができなくなった時、国債金利は一気に上がることになる。国債金利が上がれば、日本政府が払う国債金利支出が跳ね上がる。国債は法律を変えて、日銀が全部買えばいいと思う人がいるだろうが、それをやるとインフレになる。今、インフレになっていないのは、日銀に国債を売った民間銀行のお金が、日銀に預けられたままになっていて、市中に出回っていないからである。

日銀の国債保有高が、日本人や日本企業の金融資産の合計に近づくと、今のように民間銀行経由で日銀が国債を買うことは物理的に不可能になる。なぜなら民間銀行が国債の売却代金をそれほど多く日本銀行に置いておけないからである。

解雇規制の緩和に関しては、左右の政治家とも口に出すことはない。日本の労働生産性が低いということが言われても、解雇規制が話題に上がることはない。しかし、日本の労働生産性が低い一番の原因は、解雇規制が存在するため、社内に不要な人員を滞留させているためだろう。

原発稼働、増税、解雇規制の緩和のような、一見「痛み」に見えても、実は合理的で長期的にはやったほうが得になる政策について、政治家も説明しないし、愛国的な人たちもなかなか理解しようとしない(左側の人たちは言うに及ばずだ)。

池田氏たちは、高橋洋一氏や上念司氏らと議論しても仕方がないと思ったのか、後者が討論を避けているのか、財政再建派といわゆるリフレ派間で議論が行われなくなった。その結果、愛国的な風潮とあいまって、後者の意見が圧倒的に人気になってしまった。池田氏が主催する言論プラットフォーム・アゴラにしても、人気のある記事は、八幡和郎氏が書く、経済分野ではない記事(歴史、外交、皇室など)で経済政策に関する記事は以前ほど見かけなくなった。

この10年。日本国や日本人の実情や意識面で改善された面もあったが、池田氏らが提唱していた政策については全く停滞してしまった。非常に残念である。

渡部昇一氏がお元気であれば、事態は違っていたのかもしれない。渡部氏は竹下元総理の消費税増税を評価していたし、原発は速やかに動かせと主張していたし、ハイエクを好み、規制ではなくダイナミズムを活かすことが経済の活性化につながることを見抜いていた。

藤沢数希さんも恋愛工学なんてものをクローズドな場で広めてないで、パブリックな場で面白い政策を提案してくれればいいのだが。

三沢 一樹 個人投資家
1979年生まれ。会社員を経て個人投資家へ。